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“代打の神様”に訪れた決断の時期。
text by
永谷脩Osamu Nagatani
posted2004/09/22 00:00
優勝争いから見放されたチームに吹く秋風は冷たい。特にベテラン選手にとっては、チームが来季を見据え、若手の育成を進めるので、役割がなくなってくる。「常に優勝争いに加わってないと、オレの役割の評価もなくなりクビが危なくなるんだ」と言っていたのが巨人、西武でバイプレーヤーとして活躍した鹿取義隆だった。エースや4番の代わりはなかなか育たないが、繋ぎ役の代わりはいつでも育ってくるということなのだろう。
“代打の神様”阪神の八木裕も「昨年の今頃は……」という思いで、岡田彰布監督から登録抹消の話を聞いていた。今年プロ18年目の39歳は、自分の出番について、それは目と目の対話だと話していた。「監督と目が合って、よし、頼むぞと言われると、いい結果が出る。けれど、自分の出番だと思っていたのに、他の人を指名されると、気合の入れ直しが利かない」とも言っていた。入団3年目でレギュラーを奪取。それから3年間、20本塁打以上を放ち和製大砲と呼ばれ、故障した現在の岡田監督から4番の座を譲り受けた。その後、定位置を失ったものの代打として復活。'97年には代打で4割5厘という数字を上げ“神様・仏様・八木様”と言われるまでになった。昨年の優勝にも貢献し「ユニフォームを着ている間に一度でいいから優勝したかった。これで満足した」と話していた。映画やドラマを見る時、4番を打っていた頃は、主役の俳優に目がいっていた、だが、代打になってからは脇役に目がいくようになった。大好きな『釣りバカ日誌』でも、ハマちゃん役の西田敏行よりも、スーさん役の三國連太郎に興味を持つようになったと笑っていたこともあった。