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CLベスト8進出なのに……何故?
マガト監督、シャルケ解任劇の謎。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byItaru Chiba
posted2011/03/29 10:30
シャルケ解任直後に、古巣のヴォルフスブルク監督に就任したマガト。降格圏内のチームを救うことができるか
深刻な亀裂が生じていた選手たちとの信頼関係。
さらに、問題となったのは選手たちとの関係だ。
2009年にヴォルフスブルクを去る直前にも、当時のキャプテンであるジョズエらが反旗を翻していたが、今回も同じだ。
マガトは人事権も掌握することで、選手たちが監督に反抗できないようにすると一般的には言われているが、実際のところはそれにも限界がある。ヴォルフスブルク監督時代の終盤には、試合直前にマガトが選手たちへの当てつけで、過度な走り込みを命令。しかし、選手たちが“一丸となって”、これを拒否。個々の選手が反発することは出来ないが、労働者のストライキのように選手たちが束になったことで、このときはマガト監督も選手たちに屈することになった。『ビルト』紙は今回の騒動の陰には、キャプテンであるGKノイアーとの関係悪化があったと指摘している。
「(シャルケの)ロッカールームの雰囲気は、マガトのせいで壊れつつあった。ノイアーはマガトに不満を抱いている」
10年にわたって仕えてきたスタッフも会長に同調。
また、今回の騒動の渦中に長年にわたり共に戦ってきた仲間がマガトと袂をわかっていた。その筆頭となるのが、コーチのアイヒコーンだ。
ドイツでは、しばしば監督とともにコーチングスタッフが動くことが多い。マガトの場合も同じで、アイヒコーンを含め、コーチ、トレーナーなどが「チーム・マガト」を結成。ヴォルフスブルクからシャルケにマガトがやって来た際には、彼らもまたシャルケに移って来た。実際、アイヒコーンは2001年から10年にわたりマガトと共にクラブを渡り歩いてきた。
しかし、今回は違う。マガトとともに多くのスタッフがヴォルフスブルクへ旅立つ一方で、アイヒコーンはシャルケに残り、解任直後のレバークーゼン戦では暫定的に監督も務めた。そのアイヒコーンはメディア上でマガト批判を展開した。
「彼のせいで、チーム内にはリーダーシップが存在しない。(マガトが様々な国の選手を集めてきたことで)ドイツ語を話せない選手が増えてしまった。そうした雰囲気はロッカールームに漂い、CLのようなビッグマッチでは目標に向かって一つになれるが、それ以外の試合ではそうもいかない」
今季のシャルケの状態を見事に言い当てている。
今季開幕前に、シュツットガルトからやってきたヘルトSD(スポーツ・ディレクター)にしてもそうだ。
ヘルトSDは「マガトの一声がなければシャルケに入ることは出来なかった」と語っているが、彼も今回の騒動の中でマガトの下を離れて、会長側にたった。実際、マガトが去ったあとにはSDからGMへと“昇格”を果たしている。