1990年ドラフト3位でヤクルトに入団した高津臣吾。野村監督に命じられ、“遅いシンカー”を習得。守護神としてヤクルトに4度の日本一をもたらした / photograph by Sankei Shimbun 1990年ドラフト3位でヤクルトに入団した高津臣吾(当時22歳)。写真は同年12月、武蔵境の亜細亜大キャンパスにて ©Sankei Shimbun 高校時代にアンダースロー転向。そして大学時代にサイドスローにフォームを変えた(写真は97年の日本シリーズ) ©BUNGEISHUNJU 写真はプロ初セーブをあげた1993年。この年20セーブをあげる ©BUNGEISHUNJU 93年の日本シリーズで胴上げ投手に。マウンド上で歓喜の雄叫びをあげる ©BUNGEISHUNJU 93年日本一の祝勝会で。ホテルニューオータニのプールに飛び込み日本酒の樽に乗る高津と古田敦也 ©Sankei Shimbun 1997年の日本シリーズ。胴上げ投手になって意地を見せるも同年、翌年と不調のシーズンを経験 ©BUNGEISHUNJU 『現役引退――プロ野球名選手「最後の1年」』 (新潮新書) 。長嶋、王、バースから古田、桑田、清原まで……球界を彩った24人のスターたちは「最後の1年」をどう過ごしたのか? 去り際の熱いドラマを描く(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします) 2004年1月23日、雪が降るシカゴでホワイトソックスと契約 ©Getty Images 35歳でのメジャー初挑戦。この2004年、59試合6勝4敗19セーブ、防御率2.31という成績を残す ©Getty Images 2007年10月7日の古田兼任監督引退試合。高津が9回表のマウンドに上がった。その後、高津も“戦力外通告”を受ける ©Sankei Shimbun 2008年1月にシカゴ・カブスと契約も3月に解雇に ©Getty Images 2010年、41歳で台湾に渡る ©BUNGEISHUNJU 台湾時代、自転車に乗る高津 ©BUNGEISHUNJU ©Hideki Sugiyama

『現役引退――プロ野球名選手「最後の1年」』 (新潮新書) 。長嶋、王、バースから古田、桑田、清原まで……球界を彩った24人のスターたちは「最後の1年」をどう過ごしたのか? 去り際の熱いドラマを描く(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)

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1990年ドラフト3位でヤクルトに入団した高津臣吾。野村監督に命じられ、“遅いシンカー”を習得。守護神としてヤクルトに4度の日本一をもたらした / photograph by Sankei Shimbun 1990年ドラフト3位でヤクルトに入団した高津臣吾(当時22歳)。写真は同年12月、武蔵境の亜細亜大キャンパスにて ©Sankei Shimbun 高校時代にアンダースロー転向。そして大学時代にサイドスローにフォームを変えた(写真は97年の日本シリーズ) ©BUNGEISHUNJU 写真はプロ初セーブをあげた1993年。この年20セーブをあげる ©BUNGEISHUNJU 93年の日本シリーズで胴上げ投手に。マウンド上で歓喜の雄叫びをあげる ©BUNGEISHUNJU 93年日本一の祝勝会で。ホテルニューオータニのプールに飛び込み日本酒の樽に乗る高津と古田敦也 ©Sankei Shimbun 1997年の日本シリーズ。胴上げ投手になって意地を見せるも同年、翌年と不調のシーズンを経験 ©BUNGEISHUNJU 『現役引退――プロ野球名選手「最後の1年」』 (新潮新書) 。長嶋、王、バースから古田、桑田、清原まで……球界を彩った24人のスターたちは「最後の1年」をどう過ごしたのか? 去り際の熱いドラマを描く(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします) 2004年1月23日、雪が降るシカゴでホワイトソックスと契約 ©Getty Images 35歳でのメジャー初挑戦。この2004年、59試合6勝4敗19セーブ、防御率2.31という成績を残す ©Getty Images 2007年10月7日の古田兼任監督引退試合。高津が9回表のマウンドに上がった。その後、高津も“戦力外通告”を受ける ©Sankei Shimbun 2008年1月にシカゴ・カブスと契約も3月に解雇に ©Getty Images 2010年、41歳で台湾に渡る ©BUNGEISHUNJU 台湾時代、自転車に乗る高津 ©BUNGEISHUNJU ©Hideki Sugiyama

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