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「帰国後は築173年、夫の実家に」1男2女出産と柔道指導…藤井裕子一家のブラジル生活12年は幸せだった「できれば、もっといたかったな」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byJIJI PRESS

posted2025/01/30 06:02

「帰国後は築173年、夫の実家に」1男2女出産と柔道指導…藤井裕子一家のブラジル生活12年は幸せだった「できれば、もっといたかったな」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2019年、世界柔道での藤井裕子さん。指導者として、3児の母としてブラジルでの12年間を充実して過ごした

 日本とは言語、習慣、メンタリティー、気候などが全く異なるブラジルへやって来て、それぞれが精力的に活動し、多くの困難を逞しく乗り越えてきた一家だ。普通の日本人とは適応能力、覚悟、創造性がまるで違う。それにしても、思い切ったことに次々と挑戦し、乗り越えてしまう人たちである。

長男が目指す“プロフットボーラー”

 それは清竹君をブラジルの各クラブに所属させるフットボール修行にも通じている部分である。ブラジルで、長男・清竹君のフットボール修行と教育を主として担ってきたのが、陽樹さんだ。清竹君のこれまでと今後についても聞いた。

――清竹君のポジションはボランチですね。ブラジルでは、この年代はフットサルとフットボールを掛け持ちでプレーするわけですが、23年初めにフラメンゴ退団を余儀なくされて、フットボールはボタフォゴ、フットサルは選手育成専門クラブであるアロウカでプレー。その後、24年はどこでプレーしたのでしょうか?

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「24年1月にアロウカにもフットボール部門ができたので、以後はどちらもアロウカでプレーしました。ボタフォゴよりも家から近く、送り迎えも週3回から2回に減りました。主力としてプレーできたのは良かったと思います」

――今年はどんな所が成長したと思いますか?

「キック力がつき、より積極的にプレーするようになったと思います」

――確かに12月22日、リオ郊外で行なわれたU-10のトーナメントでもチームのFKやGKを蹴っていて、強烈なミドルシュートも放っていました(清竹君が所属するチームは、16チーム中3位)。日本では、どこのチームでプレーさせる予定なんでしょうか。

「2月から小学校5年生に編入し、4月から6年生ですが、学校にはサッカー部がない。当面は、沼田近郊の町クラブでプレーすることになると思います。地元の中学にもサッカー部はないので、校外のチームでプレーするしかない。群馬県のJクラブはザスパクサツ群馬があり、将来的にはアカデミーの入団テストを受けることも考えています。清竹はプロ選手を夢見ているので、その夢を叶えるために精一杯協力してやりたいと思っています」

日本語を学ぶ際、漢字の習得が大きな問題だが

――次に、勉強の話です。海外で生活する日本人家庭では、子供に学力、とりわけ日本語の力をいかに付けさせるかが大きな課題となります。

【次ページ】 少しずつ家族が増え、かけがえのない時間を

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