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「帰国後は築173年、夫の実家に」1男2女出産と柔道指導…藤井裕子一家のブラジル生活12年は幸せだった「できれば、もっといたかったな」
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沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byJIJI PRESS
posted2025/01/30 06:02
2019年、世界柔道での藤井裕子さん。指導者として、3児の母としてブラジルでの12年間を充実して過ごした
「気持ちは変わりません。プロ選手になりたいですし、プロ選手になることを目指し、できるだけ高いレベルで練習を続けたい」
麻椰ちゃんはブラジル生活で印象に残ったこととして、ピアノ、体操、バレエ、水泳など色々な習い事ができたことだという。
「とても楽しかった。友達も大勢できた。できれば、もっといたかったな。日本でもまたたくさん、友達を作りたい。楽しみです」
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麻椰ちゃんについて、裕子さんは、「ブラジルは治安面で不安があるけれど、幸いにして住んでいたコンドミニアム(注:閉じられた敷地内に複数のアパートがある)の環境が非常に良く、敷地内でほとんどの習い事や活動ができたのはとても良かったです。麻椰はもう少しブラジルにいたかったのかもしれないけれど、それは言い換えればブラジルでの生活をたっぷり楽しんだから。適応力がある子なので、日本での生活にもすぐに馴染むんじゃないかな」と語っている。
言葉と文化の壁を乗り越えるタフさがあるだけに
2歳の巴菜ちゃん以外はほぼバイリンガルで、互いに助け合いながら、ブラジル社会にすっかり溶け込み、生活を満喫していた。
日本人駐在員の場合、会社と日本人社会が生活の中心となるケースが多い。言葉の壁もあって、現地の社会に溶け込み、理解を深めるのは容易ではない。その点、藤井家は異なっていた。
これから、一家の一人ひとり日本での新生活が待ち受けている。裕子さんと陽樹さんにとっては、生まれ育った国であるとはいえ、生活環境と活動内容が大きく変化する。子供たちも短期間滞在をしたことがあるとはいえ、本格的に住むのは初めて。戸惑うことも多いに違いない。
それでも、家族5人が互いに助け合い、ブラジル生活で培った適応能力と創造性を発揮すれば、きっと楽しく、充実していて、実りある人生をそれぞれに切り開いていくのではないか、と想像している。〈第1回、第2回からつづく〉

