第101回箱根駅伝(2025)BACK NUMBER

「上りでタイムを稼ぎ、下りは転がり落ちて(笑)」青山学院大学・野村昭夢の驚異的山下りなど、箱根駅伝が記録ラッシュに沸いた理由

posted2025/01/10 10:01

 
「上りでタイムを稼ぎ、下りは転がり落ちて(笑)」青山学院大学・野村昭夢の驚異的山下りなど、箱根駅伝が記録ラッシュに沸いた理由<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

山下りの6区で区間新記録の走りを見せた青山学院大学の野村昭夢

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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Kiichi Matsumoto

 今年の箱根駅伝は、速かった。

 優勝した青山学院大学は10時間41分19秒の大会新記録。さらに出場校全体では、従来の区間記録を上回った走者が6人を数えた。

「花の2区」と呼ばれる2区では急坂の権太坂がランナーたちの行く手を阻み、往路の勝負区間とあって各校のエースがそろう。今回、リチャード・エティーリ(東京国際大学2年)、吉田響(創価大学4年)、そして黒田朝日(青学大3年)の3人が従来の区間記録1時間05分49秒を上回った。

 興味深いのは、それぞれの持ち味が違ったこと。エティーリは圧倒的なスピード。それなのにランニングフォームには力みがなく、効率的に余裕を持って前へと進んでいく。14位でたすきを受けると、先行する学校をどんどん抜いていき、2位にまで進出した。

 さらに、その追い上げによってペースを乱され、各校のエースが十分に力を発揮できない場面も見られた。エティーリはそのスピードで花の2区をかき回したのである。

 吉田と黒田の区間新は、エティーリに惑わされず、自分の走りに徹したことが大きかった。吉田は17位からのスタートとなり、エティーリのスピードに影響を受けることはなかったこともあるが、8.2kmの横浜駅前では区間11番目、15.2kmの権太坂でもまだ区間10番目。そこから中継所までの約8kmの間に、一気に区間2位までジャンプアップしたレース・マネージメントは見事だった。

 そして黒田はエティーリに抜かれても揺るがなかった。

「たぶん、エティーリ君の走りに触発されて、集団のみんなのスピードが、去年に比べてだいぶ速くなっていました」

 この冷静な視点が黒田の強み。レース前のプラン通り、自重して入って後半の権太坂からの勝負に出たのが功を奏し、青学大の往路優勝へ向けて役割を果たした。

 そして5区では若林宏樹(4年)が1時間09分11秒の区間新記録で走り、青学大の往路優勝を決めた。

 冷静さという点で、黒田と若林には共通点がある。若林がたすきを受けた時点で、先頭を走る中央大学とは45秒差があった。

 一刻も早く追いつきたい──そう思ったら、序盤の平坦な区間を飛ばし気味に入ったかもしれない。しかし、3度目の山上りとなる若林は沈着冷静に余裕をもって入り、本格的な上りに備えた。青学大の原晋監督は、こう振り返る。

「5kmの時点での若林の走りを見て、往路優勝を確信しました。後ろから見ていて、安心でしたね」

 上り始めてからは左右の腕をダイナミックに振るフォームで、推進力を生み出す。1kmごとに中大との差が縮まっていき、9.5km地点でついに背中を捉え、並ぶ間もなく抜き去った。下りに入ってからは区間記録との勝負。うまくギアを切り替え、ラストの平坦な道では原監督から檄が飛んだ。

「若林、区間新行けるよ!」

 最後の力を振り絞ってフィニッシュ。大学卒業を区切りに競技生活から引退する若林が、従来の記録を3秒上回る区間新記録で最後に最高の走りを見せた。

遂に破られた山下り6区の記録

 そして山下りの6区では、大記録が誕生した。

 6区で初めて59分台をマークしたのは、1967年の内野幸吉(日本大学)で59分14秒。58分台に突入したのは1976年の塩塚秀夫(日本体育大学)で、58分57秒。当時、このタイムは大記録と呼ばれた。そして初めて57分台に突入したのは1983年の谷口浩美(日体大)で、57分47秒をマーク。これ以降、長らく57分台は出ていなかった。

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