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野村監督から「なんでライバルとメシなんか行くんや」…大学ジャパン主将が楽天で受けた“プロの洗礼” 20代で2度の戦力外→大学准教授に転身のウラ話
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2024/12/24 11:03
2004年のドラフト4位で明治大から楽天に入団した西谷尚徳さん。現在は立正大で准教授を務めるが、プロでの「挫折」は想像以上に早かったという
38勝97敗1分。記録的大敗だった楽天1年目のシーズンにおいて、西谷は大学4年の夏から痛めていた右ひじを手術したこともあり、一軍デビューはおろか二軍でも18試合の出場に留まった。
西谷はこの時、すでに達観していた。
「いつクビになってもおかしくないだろう、と思いながらやっていました」
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西谷というプレーヤーは、守備や走塁でスペシャリティを発揮するというより、1試合を通じたパフォーマンスでこそ生きるタイプである。そうなると、一芸を磨くのではなくライバルたちとのレギュラー争いに勝つことが求められるわけだが、セカンドの西谷にとって壁となっていた選手が高須洋介だった。
守備は堅実で得点圏で力を発揮するバッティングは、2年目に楽天の監督となった名将・野村克也をして「必殺仕事人」と言わしめるほどだった。
野村監督からは「なんで同じポジションを争う奴と…」
この人には勝てないな――西谷はあっさりと敗北を認めた。
「なんでお前、同じポジションを争ってる奴とメシなんか食いに行くんや?」
野村から怪訝そうに言われる。弱肉強食の競争社会において監督の理屈もわかるが、敵に塩を送る高須に応えない理由もなかった。
「高須さんもそうですけど、誰にも勝てるレベルになかったのがわかってしまったので」
どちらかといえば西谷も、高須と似たようなプレースタイルを持つ選手だった。明治大1年の春に導き出したのは、ボールを見極めてフォアボールを選び、時にはバントで手堅く送り、進塁打を放つ方法。その過程で甘いボールが来れば確実に仕留める。自分の立ち位置を分析し、練習に励むことでプロへの道を切り開いた。
それは、1990年代に「ID野球」を採用してヤクルト黄金時代を築いた野村が好むスタイルではあるはずなのだ。
そうですね――理解したように頷き、西谷が自分を憐れむように振り返る。
「頭で考えて、実際に対応できていたら苦労はしていないですよ」
2年目となるこの06年。西谷は一軍デビューを果たし、10試合と限られた出場ながらも打率3割5分7厘と、数字の上ではアピールできたように映る。それでも、「いつクビになっても」という危機感――いや、達観を拭い去ろうとはしなかった。