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野村監督から「なんでライバルとメシなんか行くんや」…大学ジャパン主将が楽天で受けた“プロの洗礼” 20代で2度の戦力外→大学准教授に転身のウラ話
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byJIJI PRESS
posted2024/12/24 11:03
2004年のドラフト4位で明治大から楽天に入団した西谷尚徳さん。現在は立正大で准教授を務めるが、プロでの「挫折」は想像以上に早かったという
西谷が「引退後」に向けてアクションを起こしたのも、ちょうどこの頃だ。
明らかなきっかけがある。
大学時代から悩まされていた右ひじの状態がいよいよ限界に達していた。そしてこのオフ、トミー・ジョン手術と呼ばれる側副靭帯の再建手術に踏み切った。ピッチャーに多く見られる経過からもわかるように、完全復帰までには平均で1年半も費やす。西谷はその期間をリハビリだけに充てるのではなく、人生を豊かにするためにも利用したのだ。
ケガを機に、プロ野球選手と大学院生の「二刀流」
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それが、大学院への入学だった。
07年に大学院で修士号を取得するための研究計画を立て、教育学を志すことを決めた。そして翌08年に計画書を作成し、入試に臨んだ。これらを経て、西谷は09年に明星大大学院の通信教育課程で学ぶこととなった。
プロ野球選手と大学院生。
対極に近いほど異質な二足の草鞋を履くのは、前述したとおりセカンドキャリアを見越してのことだ。一方で、そんな西谷の歩みを辿っていて、少々の違和感を抱いたのがこの年のオフ、楽天を戦力外となってからの彼の行動である。
高校時代から将来的な職業として教師を視野に入れ、現役時代から大学院に通うほどである。戦力外となれば、プロ野球への未練を断ち切れるだろうと考えるのが妥当だ。
にもかかわらず、西谷は合同トライアウトに参加したのである。
「言葉で説明するならば、けじめですよ」
西谷がそう前置きし、続ける。
「自分のなかでは野球選手としてのピークだったというか、脂が乗っている時期だったんですね。二軍の試合だと『どのピッチャーが来ても打てる』という自負があったので、それをトライアウトの舞台で試して、他の球団から声がかからなければ辞めるという思いでした」
この発言からにじみ出ているのは、西谷という男が「プロ野球選手」と「教師」という職の狭間で揺れ動くどっちつかずの人間ではなく、リアリストであるということだ。
目的意識を宙ぶらりんにしないために、目の前にある果たすべき務めに注力する。その優先順位が、まずは野球だったわけだ。