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工藤公康に医師が宣告「このままの生活なら死にますよ」ドン底時代にプロポーズ…ソフトバンク名将語る“夫人の話”「子を生観戦させなかった」理由―2024年上半期読まれた記事
posted2024/09/17 17:00
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
Yuki Suenaga
2024年の期間内(対象:2024年5月~2024年8月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。プロ野球部門の第1位は、こちら!(初公開日 2024年5月18日/肩書などはすべて当時)。
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プロ野球選手として実働29年間。通算224勝を挙げるとともに14度のリーグ優勝、11度の⽇本⼀に輝いたことで優勝請負⼈と呼ばれた工藤公康氏。2011年に引退を表明すると、2015年から7年間は福岡ソフトバンクホークス監督として3度のリーグ優勝と5度の⽇本⼀に導いた。
選手、監督としてこれほどの功績を残せたのは、類を見ないほど野球に情熱と神経を傾けて膨大な時間を費やしたからに他ならない。現在では球界の常識となったコンディショニングやデータサイエンスの活用を、まだ根性論が主流だった1990年代から積極的に取り入れてきた。
「でも、若い頃の私は、今と真反対の人間でした」
頭をかいてそのように告白した工藤はなおも衝撃的な言葉を継いできた。
「このままの生活をしていたら死にますよ」
「26、7歳の頃でした。それまで2桁勝ってたのが急に勝てなくなった。世間からは『もう工藤も終わったな』と。新聞にも大洋(現DeNA)にトレードだと一面で書かれました。そんな折でした。球団の健康診断で、肝臓の数値が非常に悪く、お医者さんに『あなた、このままの生活をしていたら死にますよ』と宣告を受けて」
当時、西武黄金期の中心メンバーだった工藤は若くして好成績を残したこともあり、グラウンド外では豪快な生活をしていた。1日でボトル1本を飲み干すこともあった。それが祟ったのだ。
さすがに焦ったし落ち込みもした。そんな時期に、工藤は家庭を築く決断をして妻・雅子さんにプロポーズしたのだった。