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「お母さん、早く離婚して」“厳しすぎる”父に思わず本音がポロッと…柔道が嫌いだった斉藤立のヤンチャ少年時代「母を悩ませた最強の遺伝子」《パリ五輪BEST》
posted2024/08/22 11:40
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
MATSUO.K/AFLO SPORT
日本の金メダル20個、海外大会で過去最多となったパリ五輪。多くの日本人アスリートが強い印象を残しました。これまでNumberWebで公開されたパリ五輪日本チームに関する記事の中で、特に人気の高かった記事を再公開します。今回は、柔道・斉藤立の原点です。《初公開:2024年5月16日/肩書などはすべて当時》
<一流アスリートの親はどう“天才”を育てたのか。パリ五輪・柔道男子100kg超級の代表・斉藤立(22歳)のエピソードです。母・三恵子さんにここまでの歩みを訊きました。《全2回の1回目/後編に続く》>
亡き父が羽織った真っ赤なブレザー
「まさかこのタイミングに戻ってくるなんて……ずっと、どこかにいってしまっていたんですよ。だからこれは、主人からのメッセージなんじゃないかって」
亡き父が身にまとったソウル五輪日本選手団公式の真っ赤なブレザーを眺めながら、母・三恵子さんはしみじみと語った。
国士舘大学の教え子の手元にあったという形見は、昨年、35年ぶりに斉藤家に帰還した。2015年に他界した父の仏壇がある和室に飾られている。
「天国から見ているぞ」なのか、それとも「まだまだ練習が足りんぞ」というダメ出しなのか――息子がパリ五輪代表に内定したタイミングで手元に戻ってきたことに、運命を感じずにはいられない。
斉藤立の父・仁さんは1984年のロサンゼルス大会、1988年ソウル大会でオリンピック連覇を果たした日本柔道界のレジェンドで、全日本代表監督も務めた。
斉藤はその父が得意とし、幼い頃から叩き込まれた「体落とし」を武器に最重量級で台頭。2021年のグランドスラム・バクー大会でシニアの国際大会初制覇を果たすと、2022年に全日本選手権で初優勝、同年からは2年連続で世界選手権代表にもなった。
192cm、165kgという、日本人離れした体格も目を見張るものがある。
その片鱗は少年時代から窺えた。