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男子バレー“笑顔の守護神”に壮絶な過去「あの頃は、ほぼご飯食べてなかった」リベロ山本智大(29歳)がどん底から日本代表のチャンスを掴むまで《パリ五輪BEST》
posted2024/08/17 11:03
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Xinhua/AFLO
<これまで何度もバレーボール男子日本代表を救ってきたリベロ山本智大のキャリアを振り返る。決して順風満帆ではなかったキャリア、そしてメンバー外となった同じリベロの盟友・小川智大への想いを訊いた。【NumberWebノンフィクション全2回】>
ガムシャラにチャンスをつかみ這い上がってきたリベロが、2度目の五輪で躍動している。日本代表の守護神、山本智大(大阪ブルテオン)である。
7月31日に行われたパリ五輪予選ラウンド第2戦・アルゼンチン戦では、安定したサーブレシーブと好守備で得点チャンスにつなげた。ブロックフォローでも、コート後方に落ちそうなボールに懸命に食らいついてフォローするなど幾度もスパイカーを救った。どちらに転んでもおかしくない緊迫した試合を勝利に導いた一人だ。
どんな舞台でもいつも楽しそうにプレーする山本だが、そのバレー人生は順風満帆だったわけではない。
以前、山本に挫折の経験について聞いた時、こう答えた。
「“ない”って言いたいですけど……FC東京での1年ですかね。結構つらかったので」
「日本代表とか、大きな夢はなかった」
北海道江別市で生まれ育った山本は、小学1年生でバレーを始めた。小学校では主にレシーバー、中学ではスパイカーだったが、中学3年の12月に行われたJOCジュニアオリンピックカップ(全国都道府県対抗中学バレーボール大会)で北海道選抜に選ばれたのを機に、リベロ転向を決めた。
「自分の身長(当時165cm)や、上でやっていくために何が必要かを考えたら、リベロしかないなと思いました」
ただ当時考えていた「上」とは、あくまで高校や大学のこと。
「北海道で1位になれればいいかなぐらいで、日本代表とか、そんな大きな夢はなかったんです」