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大相撲PRESSBACK NUMBER
「若くして急逝した同期も」若貴、曙、魁皇まで…大相撲《花の六三組》元力士が振り返る“あの頃の角界”「貴花田は大スターだったけど…」
text by
欠端大林Hiroki Kakehata
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)Hiroki Kakehata
posted2024/05/12 17:01
1990年にそろって幕内に再入幕した若貴兄弟(左)。2人と初土俵同期である元若隆盛の古市氏(右)が語る「花の六三組」の悲喜こもごもとは
いまでこそ相撲協会にコンプライアンス委員会が設置され、暴力根絶の方針が打ち出されているが、当時はまだ相撲部屋に「悪しき伝統」も残存していた時代だった。
大スターの貴花田から受けた「説教」
「六三組」のなかで、もっとも早い十両昇進を果たしたのは貴花田(当時)である。デビューからわずか1年半、1989年9月場所で幕下優勝(7戦全勝)を飾り、早くも関取の仲間入りを果たした。
「貴花田が幕内に昇進したころ、巡業先の佐賀の宿舎で、2人で話したことがありました」
当時、すでに角界一の人気者となっていた貴花田を一目見ようと、多くのファンが宿舎に押しかけていた。
「お前何やコラ、ここに貴花田はおらんぞ」――集まってくる野次馬たちを古市氏が追い払っていたところ、それを見咎めた貴花田が、古市氏を宿舎の奥の飲食スペースに呼び出したという。
「貴花田からは『あのさあ古市。いつまでも、いつまでも、ヤンキーみたいなことしてたらダメだよ!』と説教されました。当時、お互いにまだ10代でしたが、貴花田はすでに大スター、僕は三段目と番付では大きく差がついていた。それでも当時は気軽に話ができる間柄でしたから、相撲界における同期の絆には、特別の重みがあったように思います」
若貴兄弟は、父が成し得なかった「横綱昇進」の夢をともに実現し、相撲界に一時代を築いた。その一方で、兄弟の深刻な不仲が取りざたされ、一家の断絶が報じられるなど、私生活上のスキャンダルが途絶えることはなかった。
「お兄ちゃん」の若乃花は現役引退後、すぐに相撲協会を退職。貴乃花は親方となり、若くして相撲協会の理事もつとめたが、弟子が受けた暴行事件などをめぐり協会執行部との軋轢を深め、2018年に協会を去った。
「貴乃花に対する評価はいろいろあると思いますが、僕自身は尊敬していました」