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「伝説の延長17回」PL4番の長男が“宿敵”横浜に入学していた! 新1年生・古畑雄大が明かす「横浜を選んだワケ」「父の試合をビデオで見て…」 

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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photograph byKatsuharu Uchida

posted2024/04/01 11:01

「伝説の延長17回」PL4番の長男が“宿敵”横浜に入学していた! 新1年生・古畑雄大が明かす「横浜を選んだワケ」「父の試合をビデオで見て…」<Number Web> photograph by Katsuharu Uchida

この4月から横浜高校に入学する古畑雄大。父・和彦はPL学園の4番として横浜・松坂大輔としのぎを削りあった選手だった。

 中学では強豪の「東練馬シニア」に入部。コーチには、ヤクルトでゴールデングラブ賞を10度獲得するなど、名手として名をはせた宮本慎也さんがいた。PLで父の先輩となる宮本さんからは、守備より打撃の指導を多く受けたと言う。

「調子が悪い時はボールに対してバットが上から入り、ボールを擦ってしまう事があるので、トップからインパクトまでしっかりヘッドスピードを加速させながら、ヘッドの角度を肩のラインと平行にスイングする事を言われていました」

中1のときに見た横浜の試合「もしかしたら…」

 中学3年間で身長178センチ、体重90キロと堂々たる体躯に成長。守備練習に多くの時間を割き、下半身を安定させる事を目的とし、その下半身の力を打撃面に繋げ、結果を出してきた。中学で放った通算本塁打は24本。最上級生になる頃には、右打ちの大型遊撃手として、多くの高校からオファーを受けた。

 進路を選ぶ際には、映像だけではなく、自分の目で直接見て、肌で感じることも大切になる。中1の夏、父に連れられ、神奈川大会を戦う横浜の試合を観戦した。当時1年生でエースだった杉山遙希(西武)や、正遊撃手の緒方漣(国学院大)ら下級生が活躍する姿に、少なからず興奮を覚える自分がいた。

「その時はまだ横浜に行くとは決めていなかったですが、もしかしたら……みたいな感じはありました」

 それは、ちょうど松坂大輔さんの引退年となった2021年。横浜は、現役プロ野球選手の出身高校で、大阪桐蔭と並び21人でトップだった。

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