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「テレビで見ていたよりも、現実の方がすげえ」。二代目“山の神”柏原竜二がスタートラインで感じた圧倒的な声援の力
posted2025/12/19 11:00
text by

福田剛Tsuyoshi Fukuda
photograph by
Asami Enomoto
東洋大学時代に山登り区間で1年生から4年連続区間賞に輝いた山の神こと、柏原竜二。大学を卒業して13年が経った今も、駅伝シーズンが始まる9月から忙しい毎日が続く。
「文化放送でナビゲーターを務めているラジオ番組『箱根駅伝への道』の放送が週に4回、それ以外の時間に講演をしたり、週末はランニングイベントへの参加もあります。その合間を縫うように各大学への取材が入ってくるので、この時期は毎日、しゃべりっぱなしの状態です」
さらに年明けにはかつて自らが走った大会の解説も担当。2日間、計14時間の実況中継が控える。駅伝シーズンが終わるまでは風邪を引くことはもちろん、のどを痛めて話ができないということも絶対に許されない。
「幸いなことにこれまで駅伝シーズンに病気をしたことはありません。きっと体が分かっているんでしょうね(笑)。シーズン外の真夏に風邪を引いたりします。ただ、のどは別です。しゃべっている時間が長くなって、これはヤバイと感じたら、すぐにのど飴を買いにコンビニに走ります。しかも、買ったことを忘れてしまうので、駅伝シーズンを終えてバッグを整理するといろいろなところから飴が出てくる。ここまでが僕にとっての駅伝シーズンです(笑)」
駅伝シーズンはしゃべりっぱなし。のどのケアが欠かせない日々
取材のこの日も前日にラジオがあり、のどに違和感があったという。
「週末のイベントでたっぷり話した後のラジオだったので、朝起きたときからのどがガサガサしていたんです。ここに来るまでずっと龍角散ののど飴を舐めていたので鼻は通ったものの、のどはまだ本調子じゃない。これで大丈夫かなと不安だったんですけど、『龍角散ダイレクト』を飲んだら、ガサガサがすっと消えました。これ結構本気で驚いています」
食品である龍角散ののどすっきり飴は、のどをすっきりとさせるものであるのに対し、『龍角散ダイレクト』は、微粉末生薬成分がのどの粘膜に直接作用し、のどの炎症による声がれや、のどのあれに効果を発揮する第3類医薬品だ。
「そんな明確な違いがあるとは知りませんでした。『龍角散ダイレクトスティック』は、顆粒なのに水なしで飲めるし、パッケージが小さいので手軽に持ち運べるところも便利。これなら懐刀のように忍ばせておいて、本番前にのどに違和感があったらさっと取り出して飲めます。今シーズンが終わってカバンを整理するときは、のど飴と一緒に『龍角散ダイレクト』がいろいろなところから出てきそうです」
松島茂アナウンサーから受け継いだ選手に寄り添う姿勢
元々話すことが苦手だったという柏原が、ナビゲーターとしてラジオに出演するようになったのは、文化放送の名物アナウンサー・故松島茂さんとの出会いがきっかけだった。
「松島さんにお声をかけていただいて、番組へ出演するようになりました。学生の頃からラジオが好きで、いろいろな番組を聴いていたんですけど、いざ自分が話すとなると選手にどう質問をしたらいいのかさえ分からない……。でも松島さんは『そのままでいいよ』と言うばかりで、一切教えてくれないんです。でも、僕としてはこのままでいいわけがないことは分かっていたので、人気のパーソナリティの話し方を観察して真似をしたり、どうしてこの人は人気があるのかと分析して取り入れ、ようやくある程度自信をもってしゃべれるようになってきました。今思うと自分で気づかせるために、松島さんはあえて教えなかったのかなと思っています」
パーソナリティから学んだものの中には、松島アナから受け継いだ大切な想いも含まれている。
「インタビューをする選手はプロではなく学生です。彼らの貴重な時間を僕たちはもらっているわけですから、言葉遣いも含め僕が過去に受けて嫌だった取材みたいにはならないように、常に意識しています。悩んでいることや思っていることを言語化すると考えがまとまりますよね。インタビューをしているように見えて、僕としては選手に寄り添って一緒に考えをまとめてあげたいんです。松島さんはすごく選手に寄り添ったインタビューをされていた方なので、松島さんから番組を引き継いだ以上は、選手には楽しかったと感じてもらい、笑顔で終わってほしい。そういうインタビューができるように、ちょっとでも時間があると頭のなかでどう話を進めたらいいのかをひたすらシミュレーションしています」
大学駅伝の魅力は「誰一人として手を抜いている選手がいないところ」と柏原は言う。
「契約が続く限りプレーを続けられるプロスポーツとは違い、学生スポーツは4年間と有限なんです。チームとしてどういう1年を過ごしてきたのかというだけではなく、4年生であればどういう4年間を過ごしてきたのか、大会に至るまでのプロセスをより一層強く、色濃く感じられる。これが学生スポーツの良さではないでしょうか」
箱根を4年間走り続けた“山の神”が体感した応援の力
大学駅伝で毎年のように伝説の走りを見せた柏原には今も忘れられない景色がある。それは大学1年生ランナーが二代目「山の神」となったレースだ。
「襷を受け取るためにスタートラインに立つと、感覚としては360度、全方位から声援が聞こえるんです。『頑張れ』とか『行け!』とかみんな口々に応援してくれているんでしょうけど、何を言っているのかは一切聴き取れない。音圧と呼べるほどの迫力で、まさに音の塊になるんです。その音圧に包まれながら沿道を埋め尽くしている人の多さを目の当たりにしたときに『テレビで見ていたよりも、現実の方がすげえ』って感動したのを覚えています。この大会に出るのは僕一人の悲願ではなかったので、震えるというか、やっとここまで来たという高揚感がありました」
高校時代、決して順風満帆ではなかった柏原は、高校3年になるまで大学駅伝を走る姿は想像もできなかったという。
「僕は6人兄妹の4男と、家族が多いこともあって、高校を卒業したら就職するものだと思っていました。それが東洋大学に拾ってもらって、兄妹に頭を下げて大学に行かせてもらったんです。特に2番目の兄ちゃんには、お金も工面してもらったので、絶対に恩返しをしたいという気持ちが強かったです。この日は兄ちゃんも見に来ていて、直前に『区間賞をとったら好きなものを買ってやる』って電話がかかってきたので、当時発売されたばかりのブルーレイレコーダが欲しいと言ったら、レース後、本当に送ってくれました。兄ちゃんには一生頭が上がらないです」
柏原にとって、声援の力とはどういうものなのだろうか。
「駅伝以外の陸上競技は観客があまりいないこともあって、観客が多い少ないはあまり関係なくて、現役の頃は誰が応援してくれているのかがすごく大事でした。家族やきょうだい、友人など、応援してくれている身近な人、一人一人にちゃんと向き合い、その想いがあるから頑張れたと思います。もちろん駅伝のときは、言葉としては聴き取れなくても沿道の声援が力を与えてくれたことは間違いありません。僕はプロ野球の日本ハムファイターズが好きで、試合を観るときは選手に届かなくてもいいから声を出しています。それで何か変えようとは思っていませんが、人の想いがのった声援はアスリートに力を与えると信じています」
現在は、東洋大学大学院で社会学研究科(社会心理学専攻)で学んでいる大学院生でもある。
「大学院ではチームビルディングについても学んでいますが、将来、大学とか駅伝チームの監督になりたいとは考えていません。監督は客観視も大事ですけど、熱くなって情熱を選手にぶつけることも大切な要素だと思うんです。常に自分のことを客観視して考える僕の性格上、本心から熱くなることができないので(笑)。今は伝える側として選手の良さや苦労、想いを伝えていきたい。どうしたらそれができるのかをずっと考えています」
柏原竜二の大学駅伝はこれからも、続いていく。
柏原 竜二Ryuji Kashiwabara
1989年7月13日生、福島県いわき市出身。福島県立いわき総合高校を経て東洋大学に入学。東洋大学時代、箱根駅伝の山登り5区で2009年から4年連続区間賞を獲得、うち3度は区間記録を更新。圧倒的な走りで「2代目・山の神」と称され、東洋大学を3度の総合優勝に導き、黄金時代を築き上げた。大学卒業後、富士通株式会社に入社。2017年に現役を引退後は同社に在籍しながら、文化放送『箱根駅伝への道』のナビゲーターを務めるなど、陸上競技の魅力を伝える活動に力を注いでいる。2024年4月からは東洋大学大学院社会学研究科(社会心理学専攻)に進学し、スキルアップを図りながら、箱根駅伝の解説やレポーター、講演活動など、箱根駅伝で培った経験を活かし、多方面で活躍中。






