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大阪桐蔭“最強世代の背番号1”は保険会社の営業になっていた!「画面を見ながらパソコンを打つのは難しい」厳しい現実も…柿木蓮の「第二の人生」

posted2025/12/29 11:04

 
大阪桐蔭“最強世代の背番号1”は保険会社の営業になっていた!「画面を見ながらパソコンを打つのは難しい」厳しい現実も…柿木蓮の「第二の人生」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

大阪桐蔭「黄金世代」のエースとして春夏連覇を達成した柿木蓮。6年間のプロ生活を終え、現在は保険会社の営業として第2の人生を歩んでいる

text by

沢井史

沢井史Fumi Sawai

PROFILE

photograph by

Hideki Sugiyama

 大阪桐蔭高時代に春夏連覇を達成し、2018年にドラフト5位で日ハムに入団した柿木蓮さん。高校時代は根尾昂(中日)、藤原恭大(ロッテ)らと共に大阪桐蔭“最強世代”とうたわれたが、2024年に現役を引退した。なぜ、黄金世代のエースはプロで輝けなかったのか――。その現役時代の蹉跌と、第二の人生についても聞いた。《NumberWebインタビュー全3回の3回目/最初から読む》

「トライアウトは自分の知り合いも(社長と)一緒に見に来ていたんです。その後、その知り合いから食事に誘われたんですけれど、『サシならいいけどそれ以外は行かんよ』って言ったんです。で、お店に行ったらその社長も一緒でした(苦笑)」

 そんな風にプロ生活最後となったトライアウト後の顛末を振り返るのは、大阪桐蔭“黄金世代”のエースとして背番号1を背負った柿木蓮だ。

 当時はあくまでただの食事会。話題は雑談や野球のことなどが中心だった。

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 その頃は柿木本人も、まだ今後のことを具体的に考えられずにいた。それでもいつかは先々のことを決めなければいけない。進路について模索する中で、その社長とも会う機会が増えた。そのうちに、入社の話が進んでいった。

「保険会社って…何をするの?」

 とはいえ、当初は保険会社と聞いても実はピンと来ていなかったという。

「保険会社って何をするの? というところから始まって(苦笑)。営業と言われても何をすればいいのか分からなかったんです」

 野球で生きていく覚悟だった柿木は「勉強も苦手でしたし、そもそも勉強の方法もよく分かっていなかったです」。それでも背中を向けている場合ではない。年が明けてからは机に向かう時間が増えた。

【次ページ】 パソコンの「画面を見ながら打つのは難しい」

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