NumberPREMIER ExBACK NUMBER
「凱旋門賞でも勝てたレベル」名手オリビエ・ペリエが語るシンボリクリスエスとゼンノロブロイの“偉業”「いかにロブロイはタフだったか」
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph byKiichi Yamamoto
posted2023/11/05 17:01
2003年の天皇賞・秋、有馬記念を連覇したシンボリクリスエスとオリビエ・ペリエ騎手
名手の読みは、すぐに現実のものとなる。直後の有馬記念、早目先頭からセーフティーリードを保ったかと思えたタップダンスシチーを、ペリエ操るシンボリクリスエスがゴール前で強襲。最後は半馬身、前に出た。
「凄い脚だったね。これで3歳だったからね。まだまだ強くなると思ったよ」
その後は一旦、フランスへ戻ったペリエだが、“風物詩”らしく翌'03年の秋にも来日。前年、年度代表馬に選定されたシンボリクリスエスと再びタッグを組んだ。
道悪に加え、特殊な流れになったジャパンCでは前年と同じ3着に敗れてしまったが、天皇賞・秋と有馬記念は共に優勝し、連覇を達成。特に引退レースとなった後者は2着に9馬身もの差をつけ、レコードで有終の美を飾ってみせた。
「シンボリクリスエスはスーパーホースでした。スピードがあって、スタミナもある。あれだけ強ければ、凱旋門賞に挑んでも勝てたレベルの馬だと思います」
そんなシンボリクリスエスのラストランで唯一の対戦を果たし、3着に敗れたのがゼンノロブロイだ。両馬を育てたのは伯楽・藤沢和雄。当時、藤沢は次のように語っていた。
「引退するクリスエスが、『ロブロイ君、後を任せて大丈夫かい?』と言いながら走っているように感じました」
「秋の3戦を全て勝つ。いかにロブロイがタフであったか」
その“王者のバトン”は、これ以上ない形で受け継がれた。
翌'04年、ペリエを主戦騎手として迎えたゼンノロブロイは、なんと天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念を3連勝。秋のチャンピオンロードをコンプリートしたのは、この年のゼンノロブロイと、'00年のテイエムオペラオーだけ。未だ2頭しか成し得ていない偉業を、見事達成してみせたのだ。
「クリスエスに比べると、ロブロイはスピード面で少し劣っていました。でも、追ってからのしぶとさという面では決して負けていませんでした。秋の3戦を全て勝つというのはクリスエスでも出来なかった芸当。いかにロブロイがタフであったかが分かります」
名手は、快挙を達成できた理由の一つを、こう分析する。
【続きを読む】雑誌が読み放題のサブスク「NumberPREMIER」内の「有馬記念は世界でも稀なタフレース」“冬の風物詩”O・ペリエが語るシンボリクリスエス&ゼンノロブロイ【単独インタビュー】で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。