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「凱旋門賞でも勝てたレベル」名手オリビエ・ペリエが語るシンボリクリスエスとゼンノロブロイの“偉業”「いかにロブロイはタフだったか」

posted2023/11/05 17:01

 
「凱旋門賞でも勝てたレベル」名手オリビエ・ペリエが語るシンボリクリスエスとゼンノロブロイの“偉業”「いかにロブロイはタフだったか」<Number Web> photograph by Kiichi Yamamoto

2003年の天皇賞・秋、有馬記念を連覇したシンボリクリスエスとオリビエ・ペリエ騎手

text by

平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

PROFILE

photograph by

Kiichi Yamamoto

 天皇賞・秋と有馬記念を連覇し、その豪脚をターフに刻んだクリスエス。彼の意志を繋ぐようにして、史上2頭目の秋古馬三冠を果たしたロブロイ。両馬を鞍上から導いたオリビエ・ペリエが、鮮やかに駆け抜けた当時の軌跡を振り返る。
 発売中のNumber1083号に掲載の[オリビエ・ペリエが語る]シンボリクリスエス&ゼンノロブロイ「受け継がれた王者のバトン」より内容を一部抜粋してお届けします。【記事全文はNumberPREMIERにてお読みいただけます】

「乗ってみたかった馬はシーバードだね」

 3連覇を含む、凱旋門賞4勝を誇る名手オリビエ・ペリエ騎手は、爽やかな秋空が広がるフランスの地で、そう口にした。

 シーバードは1965年に英国のダービーや凱旋門賞を制し、ヨーロッパでは多くの競馬関係者が今でも「史上最強馬」と呼ぶほどの名馬である。

「乗る事が出来て良かったのはゴルディコヴァかな」

 こちらはフランスの馬ながら、2008年から'10年までのブリーダーズCマイル(アメリカ)3連覇等、生涯にGIを14勝した牝馬だ。そんな名牝の名を挙げた後、ペリエはこう続けた。

「日本ではシンボリクリスエスとゼンノロブロイだね。彼等との思い出も忘れられないよ──」

 ペリエが短期免許を取得してJRAに参戦していたのは、1990年代半ばから2000年代のこと。武豊騎手に「冬の風物詩」と言われるほど、毎年、秋から冬にかけて来日していた。当時はペリエが来る事で、日本の秋競馬が幕を開ける感すらあった。

「3歳で海外の強敵を相手にこれだけ走れるのなら…」

 そんなフランスの名騎手がシンボリクリスエスと初めてタッグを組んだのは'02年。岡部幸雄騎手のもと、この年の日本ダービーで2着、そして天皇賞・秋を3歳で制した同馬の鞍上に、ペリエはジャパンCで初めて収まった。

「この年のジャパンCは中山でした。フランキー(ランフランコ・デットーリ騎手)ら外国勢と馬体を並べてゴールしたけど、ほんの少しだけ負けてしまった。でも3歳で海外の強敵を相手にこれだけ走れるのなら、将来性はかなり有望だなと思ったんです」

 勝ったファルブラヴからハナ+クビ差の3着という惜敗を受けて、鞍上でそう感じていたという。

【次ページ】 9馬身差のレコードで有終の美を飾ってみせた

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