核心にシュートを!BACK NUMBER
「パリ五輪出場決定」でも河村勇輝が感情を爆発させないワケは?…バスケW杯で世界が注目“身長172cmの司令塔”の見据える先
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byFIBA
posted2023/09/03 18:00
チーム最年少ながら随所での活躍を見せた22歳の河村。大舞台での急成長はなぜ生まれた…?
大袈裟に言えば、この大会で日本はポイントガード(PG)を務める河村のチームになった。
河村は、スピードを武器にする日本代表のスタイルを象徴する存在となった。2試合目のフィンランド戦で25得点、9アシストの活躍で今大会初勝利を呼び込むと、3試合目からスタメンに抜擢された。4試合目のベネズエラ戦では19得点、11アシストで、バスケの世界で1つの勲章とされる「ダブル・ダブル」(※得点やアシスト、リバウンドなどの中から2つの分野で2けたの成績を残すこと)を日本人として初めて達成した。
そんななかで最も衝撃を受けたのは、初戦で対戦した優勝候補ドイツのPGデニス・シュルーダー(トロント・ラプターズ)だったという。
「シュルーダー選手は、別格だったと思っています。ドライブするコースを『止めた』と思っても、いつの間にか抜かれていて。そんな感覚、これまでバスケをやってきてなかったので。映像で振り返ってみても、『絶対に止めた』と思ったコースで抜かれていて。何がすごいのかわからないです。スピードだけではなくて、多分“緩急”のところだと思うんですけど。やはり、本当のトップレベルのPGってすさまじいなと差は感じましたね」
ただ、やられてばかりではなかった。この大会では試合を重ねるごとに、大男を振り切って鋭いドライブからレイアップを決めるシーンが増えていったが、そのヒントを世界レベルのPGから得ていた。
「(シュルーダー選手のような)“緩急”を使うように心がけていました。スピードを使った後に止まって、もう1回、スピードを出すというプレーは『効くかなぁ?』ということでやってみたら、やはり効いたので。これはすごく使えるな、と」
大舞台での急成長→原点は父による「英才教育」
河村が猛スピードで対戦相手から吸収できるのにはおそらく理由がある。中学校の先生を務めていた父・吉一さんのもとで“英才教育”を受けて育てられたからだろう。
山口県にある実家の庭にバスケゴールを作ってもらい、それをきっかけに夜間でも練習できるナイター設備や、雨が止んだあとにすぐに練習できるようにするために敷くブルーシートなど、河村がバスケに情熱を傾けるのにあわせて、様々な工夫をして、努力を後押ししてくれた。
それだけではない。吉一さんは熱狂的なNBAフリークで、小さいころから往年のNBAの映像を見せてもらってきた。そのなかには80年代から90年代にかけて、マイケル・ジョーダンの往年のライバルである“バッドボーイズ”のアイザイア・トーマス(現62歳)の映像もあった。