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大谷翔平も菊池雄星も佐々木麟太郎も育った“ナゾの高校野球の町”「JR花巻駅」には何がある?「“消えた”レアな鉄道、閉店した百貨店…」
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byJIJI PRESS
posted2023/09/03 11:00
花巻東高校時代の大谷翔平。菊池雄星も佐々木麟太郎も輩出した花巻には何がある?
現役選手だからしかたがないとも思うが、WBCに優勝した年なのだから横断幕のひとつやふたつあってもいいのではとも思う。ただ、駅舎の中にも駅前にもない。むしろ、花巻駅と駅前の雰囲気から感じられるのは、イーハトーブであった。イーハトーブ。そう、宮沢賢治である。花巻は、宮沢賢治の故郷なのである。
宮沢賢治が生まれたのは、花巻の中心市街地である。花巻駅は、花巻市の中心市街地から少し離れた高台にある。つまり、言い換えれば花巻駅前から坂道を下っていった先に市街地がある。道すがらには、古い旅館の類いがいくつもある。いわゆる駅前旅館、というやつだろう。昔からこの地域に訪れる旅人が少なからずいたということの証拠といっていい。
7年前に閉店したマルカン百貨店
市街地に向かって歩いて行くと、途中に花巻城跡がある。花巻城は、江戸時代には南部藩の南の守りを固める要衝の地であった。また、同時に奥州街道の宿場町としての機能も持ち、さらには北上川舟運の川湊という役割も持っていた。南部藩のお米は花巻を介して北上川で運ばれていたというわけだ。もちろん、江戸時代には守りを固めるというお城の役割はそれほど重要なものではなくなっており、むしろ南部藩各地の物資が集まる商業都市としての性質を強くしていた。花巻城のお城の南側に広がる中心市街地は、そうした商都・花巻の面影を残したものなのである。
といっても、いまの花巻市の人口は9万人ほど。それくらいの小都市なので、中心市街地の規模もそれほどは大きくない。1973年に開業したマルカン百貨店というデパートもあったが、2016年に閉店している。歓楽街といえるようなエリアもあるものの、一周歩いても10分ちょっとという程度の小さな中心市街地だ。宮沢賢治の生家跡も、そうした中心市街地の一角にある。玄関口である花巻駅からは少し離れており、クルマ社会になってロードサイド店舗が中心になると、駅から離れた中心市街地が徐々に衰退するというのは、ごく自然な流れなのかもしれない。
“消えた”鉄道
しかし、花巻はこれだけで説明が付くような単純な町ではない。もうひとつ、大きな特徴を持っている。それは、温泉である。