濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
王座戦直後、総武線に乗って…大日本プロレス“東京→名古屋ダブルヘッダー”をやり遂げた選手たちの思い「自慢にならないことで燃えるのがインディーです」
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2023/07/04 17:00
ブッキングの手違いから始まった遠距離ダブルヘッダー。野村&阿部のアストロノーツは王座を防衛
“35分50秒”の肉体の削り合い
野村29歳、阿部28歳。若いチャンピオンは「全然OK」とまではいかなかった。いつもは団体からカード決定の報告がくるだけなのだが、今回に関しては「相談」があったそうだ。
「相談がきて、俺も“ちょっと阿部にも相談します”って返しちゃいましたね」と野村。
その阿部は5分だけ考えて試合を了承。ダブルヘッダーのカードが決定した。昼のタイトルマッチは通常30分一本勝負なのだが、完全決着戦として時間無制限に。当然のように試合は30分を超えた。決着のタイムは35分50秒。それも業界屈指のパワーファイターである関本&岡林との35分50秒だから生半可ではない。
どちらのチームも、決して複雑な技を使うわけではない。チョップ、エルボー、ラリアットに張り手。ボディスラム、ブレーンバスター。腕ひしぎ十字固めにアームロック、逆エビ固めとキャメルクラッチ。誰もが知っている技だから、迫力の違いも分かりやすい。肉体の削り合い、意地の張り合いが際立つ。阿部と野村は自分たちのプロレスを「金の取れるケンカ」だと言っていた。
ぶん殴られてぶっ飛ばされて、フラフラのボコボコになった阿部が、岡林から腕固めでギブアップを奪った。会場は大爆発。「大日本」コールも起きた。アストロノーツにとって生涯、忘れられない勝利だ。しかし、これはあくまで“前半終了”なのだった。
敗れた関本と岡林がリングを降りると、阿部はその背中に声を飛ばす。
「何を先に名古屋行こうとしてるんだ! 撤収するまでが大日本だろ」
そうなのだ。インディーの選手たちは何でもやる。リングを設営して売店でグッズを売り、試合をして大会後には撤収作業をする。それが当然のことだ。
電車→新幹線で名古屋へ移動
この後楽園大会では、メインで勝ったアストロノーツが売店でサイン会。残った選手が撤収を進める。一部の選手は試合を終えたところで名古屋に向かった。
阿部と野村が着替えを済ませた頃には、リングをはじめ後楽園で使われた機材がトラックに積み込まれていた。社長の登坂が自ら運転して、神奈川県は鴨居の道場に戻る。
一方、名古屋では設営が進む。大日本は大会用と道場用の2つのリングを所有しており、この日は道場用リングも持ち出しての同時使用となった。レフェリーのマック竹田、選手バスの運転手を務めるベテラン選手の谷口裕一、夜の大会で欠場から復帰する高橋匡哉が“先乗り部隊”。あくまで必要最小限の人員だ。「お客さんのために、昼も夜もできる限りフルメンバーの興行にしなくては」と登坂。
後楽園の撤収を終えた選手たちは、それぞれ名古屋に向かう。普段は巡業バスでの移動なのだが、それでは間に合わない。筆者はアストロノーツと行動をともにした。会場最寄の水道橋駅から総武線、御茶ノ水で中央快速に乗り換えて東京駅から新幹線。せめて東京駅までタクシーに乗れば少しは休息になるのだが、なぜだかそれはしたくないのだと阿部は言う。
さすがに新幹線では少し休めたが、しっかり休もうと思うと名古屋は近い。ダイアモンドホールまでは地下鉄だ。
「岡林さんが地下鉄乗るの見えたんでね。僕らがタクシー使うわけにいかないでしょう」(阿部)
先輩に失礼だから、ということではない。自分たちだけ体力を温存したくない、できる限り同じ条件で試合を迎えてやるという意地だ。無駄かもしれないし子供じみているかもしれないが、このダブルヘッダーを乗り切るにはそうした闇雲なエネルギーが必要なのだった。