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「エフフォーリアとの涙を糧に」横山武史が語った最良パートナー引退と”ダービーのドン底”「敗れた瞬間がフラッシュバックすることも…」
posted2023/05/18 17:39
text by
藤井真俊(東京スポーツ)Masatoshi Fujii
photograph by
Kiichi Matsumoto
現在発売中のNumber1073号掲載の[ダービージョッキーへ]横山武史「涙を糧に、悔いを力に」より内容を一部抜粋してお届けします。【記事全文は「NumberPREMIER」にてお読みいただけます】
4月16日、中山競馬場。前日までの降雨に加えて、当日も昼すぎから強い雨が降ったことで、第83回皐月賞は50年ぶりに重馬場での開催となった。ちなみに50年前というと1973年。ハイセイコーが無傷の9連勝を達成した伝説の皐月賞で、その1週前には横山武史の祖父・富雄が乗ったニットウチドリが桜花賞を勝っている。当時、父の典弘はまだ5歳。もちろん武史は生まれていない。騎乗したすべてのジョッキーにとって、そして外から見守った多くのファンや関係者にとっても未知のシチュエーションで、今年の皐月賞は行われた。
2戦2勝というキャリアの浅さに加えて、GIII京成杯の勝ち馬が20年以上、皐月賞で連対すらしていないというデータもあり、最終的にソールオリエンスへの支持は2番人気にとどまった。しかし当の鞍上である武史は、確かな手応えをつかんでゲートが開くのを待ったという。
「京成杯では4コーナーで左にモタれて他馬に迷惑をかけてしまい申し訳なかったですが、それでも最後は一気に突き抜けて2馬身半差。強い勝ち方でしたし、ポテンシャルの高さは相当だと思いましたね。当該週の追い切りも抜群に良くて、レース当日の返し馬も文句なしの雰囲気でした。すごく落ち着きがありましたし、柔軟性もあって体の使い方も良かったですから。間違いなく能力を出し切れるコンディションだと思いました」
ただし重馬場への適性については不安もあったと明かす。
「キタサンブラックがお父さんで、母父がモティベーター。その父がモンジューですから血統的にはこなしてくれると思いました。ただ血統通りにいかないのも競馬ですから半信半疑でしたね。結果的にはこなしてくれたので良かったですけど……」
道中は後方4番手からじっくりと進める形。しかしこれは必ずしも戦前から描いていたレースプランではなかったという。
「1枠1番でしたから、ある程度スタートを出て、中団くらいのポジションから進める競馬をイメージしていました。そのうえで直線では前回のように差し切れればいいな、と。ただ実際にはスタートしてから行き脚がつかなかったですし、内側の馬場も悪かった。ですから瞬時に作戦を切り替えて、1コーナーまでに馬群の外へ持ち出したんです。先ほども言いましたが、道悪適性については半信半疑だったので。さすがに自信をもって内を走らせ続ける勇気はなかったですね」