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「結末はわかっていたのに、大号泣」アニメウマ娘『ROAD TO THE TOP』は1999年菊花賞をどう描いた?「アグネスデジタルが観客席にいた理由は…」 

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屋城敦

屋城敦Atsushi Yashiro

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photograph byCygames, Inc.

posted2023/05/21 17:01

「結末はわかっていたのに、大号泣」アニメウマ娘『ROAD TO THE TOP』は1999年菊花賞をどう描いた?「アグネスデジタルが観客席にいた理由は…」<Number Web> photograph by Cygames, Inc.

左からテイエムオペラオー、アドマイヤベガ、ナリタトップロード。1999年クラシックの結果はわかっているはずなのに見入って感動するファンが続出した

アグネスデジタル“最前列”の理由

 この場面で、一瞬だけ画面左下にアグネスデジタルらしきキャラクターの後ろ姿が映る。じつはアグネスデジタル、史実では同じ日に京都競馬場第7レース(もちの木賞)に出走(2着)しており、たしかにこの場所にいたのである。なお、アグネスデジタルはこの後大きく成長し、翌々年(2001年)の天皇賞・秋ではテイエムオペラオーに土をつけている。

 三強で最初に仕掛けたのはアドマイヤベガだった。同時に、その後ろにつけてマークしていたテイエムオペラオーも動き出す。だが、スローペースで中団やや後ろという位置取りが悪すぎた。バ群に阻まれて行くに行けず、史実でもここでのロスが敗因とされている。

 そんな中、最終コーナーの立ち上がり、史実と同じ場所でナリタトップロードは早めのスパートを始める。これがトレーナーに宣言した“自分らしさを貫く”ということだった。日本ダービーで、京都新聞杯で早仕掛けから敗れていたナリタトップロードだったが、それでもなおこのスタイルは変えなかった。

左腕を天に突き上げたナリタトップロード

 そしてついにナリタトップロードが先頭に立つと、大きな歓声が聞こえてくる。1999年11月7日の京都競馬場でも、モニター越しにも伝わってくる大歓声が湧き起こっていた。必死に追い込んでくるテイエムオペラオーやラピッドビルダー(史実ではラスカルスズカ。サイレンススズカの半弟)の追撃を退け、勝利を収めたナリタトップロードは史実の渡辺騎手同様、左腕を天に突き上げていた。

 これ以外にも、菊花賞最後の直線でアドマイヤベガに舞い降りた奇跡や、その後のウイニングライブなど、アニメオリジナルといえる見どころがたくさんあるのだが、本稿の趣旨はあくまで史実視点のふりかえりなので、このあたりで筆をおきたい。「結末はわかっていたのに大号泣した」、「あと8話やらないか?」、「オペラオーの生き様というか考え方がカッコ良すぎる」など、多くの視聴者を感動させた『ROAD TO THE TOP』の物語。本稿を傍らに視聴することで1999年クラシックの史実にも思いを馳せていただければ幸いだ。

<「皐月賞」「ダービー」編もあわせてお読みください>

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「ウマ娘になぜ松坂大輔の名言が?」話題のアニメ新シリーズ『ROAD TO THE TOP』第1話を読み解く「アドマイヤベガのおにぎりが1個だった理由は…」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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