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「あのクライフがアーセナル史上“最も美しい”天才を怒らせた日」日本のファンにも愛されたベルカンプの伝説「じつは進学校に通う秀才だった」 

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中田徹

中田徹Toru Nakata

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photograph byGetty Images

posted2023/05/04 17:06

「あのクライフがアーセナル史上“最も美しい”天才を怒らせた日」日本のファンにも愛されたベルカンプの伝説「じつは進学校に通う秀才だった」<Number Web> photograph by Getty Images

1993年までアヤックスでプレー、インテルを挟んで、1995年~2006年の現役引退までアーセナルで活躍。3度のプレミアリーグ優勝に貢献したデニス・ベルカンプ

「まだベルカンプがA1チームでプレーしていたときのことです。クライフはコーチを通じてA2(18歳未満カテゴリー。実質、A1の2軍)で4週間プレーさせました。クライフはベルカンプのなにくそという気持ちを引き出そうとしたのです」(ズワルトクライス記者)

 クライフはリザーブチームのコーチに頼んで、ベルカンプを右サイドバックでプレーさせるよう根回しした。そして前方のウインガーには「今日は守備をするな」という指示も与えた。「FWが守備をしないと、DFはどんなに大変か」ということを、クライフは試合中に経験させたのだ。

 93年5月2日の対ビレムⅡ戦、アヤックスは0-1のビハインドを負っていた。しかし後半19分、ファンハール監督はベルカンプをベンチに下げ、DFジョニー・ハンセンを投入する。

 サポーターから湧き上がるブーイング。怪訝な顔で引き上げていくベルカンプ。ファンハールを除いて誰も納得できない交代だった。

「ベルカンプのプレーは悪かった。選手は全員、自分のタスクをまっとうしないといけない。彼はゴールへの意欲の強い選手だが、ノーゴールの試合が続いていた。チームのことより、自分のことを優先する選手はプレーさせられない」(ファンハール/アヤックスTV)

 こうしたエピソードを交えてズワルトクライス記者が解説する。

「クライフの場合、わざとベルカンプを怒らせているんですよね。クライフは若き日のファンバステンやライカールトにもこういう手法をとって衝突したんです。一方、ファンハールは戦術理解の不一致から選手と衝突します。クライフと衝突した選手は、後になってから意図に気付いて感謝します。しかし、ファンハールと選手はわだかまりを残します」

ベルカンプ最高の瞬間は?

 では、ベルカンプもファンハールと衝突したのだろうか。

「いや、2人は喧嘩していません。ただ、サッカー観が違っただけです。ファンハールにとって『理想の10番』はベルカンプではなく、ハードワークも厭わぬヤリ・リトマネンだったのでしょう。ベルカンプはもっと自由に動き、より美しくプレーしようとする選手。このサッカー観の違いで、ファンハールと(クライフ派の)ベルカンプは2010年、アヤックスの育成改革を巡って真っ向からぶつかります」

 クライフとファンハールのサッカー観を比べる上で、「ベルカンプ、アヤックスとの別れ」(1993年NOS)というドキュメンタリーは参考になる。ファンハールはベルカンプのことをこう評した。

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