Number ExBACK NUMBER

「あのクライフがアーセナル史上“最も美しい”天才を怒らせた日」日本のファンにも愛されたベルカンプの伝説「じつは進学校に通う秀才だった」 

text by

中田徹

中田徹Toru Nakata

PROFILE

photograph byGetty Images

posted2023/05/04 17:06

「あのクライフがアーセナル史上“最も美しい”天才を怒らせた日」日本のファンにも愛されたベルカンプの伝説「じつは進学校に通う秀才だった」<Number Web> photograph by Getty Images

1993年までアヤックスでプレー、インテルを挟んで、1995年~2006年の現役引退までアーセナルで活躍。3度のプレミアリーグ優勝に貢献したデニス・ベルカンプ

「91-92シーズンは私にとって生きるか死ぬかの戦いでした。10月、PSVとユトレヒトに連敗し、12月はフィテッセに負けた。メディアやファンはクライフ(当時バルセロナ監督)の名前を叫んでいました」(ファンハール/アヤックスTV)

 ファンハール監督の求めるサッカーを選手たちがようやく理解したのがUEFAカップのベスト16のオサスナ戦。ホーム、アウェーを共にベルカンプのゴールによって1-0で勝ったアヤックスは、その後のリーグ戦で15勝2分けという快進撃(成績は2位)。UEFAカップではジェノア、トリノ(共にイタリア)を撃破して優勝した。

 そのジェノアとの初戦、アヤックスが3-2の勝ち越しゴールを決めた瞬間にアナウンサーはこう実況している。

「ベルカンプのアシストからウィンテルがゴール! なんという素晴らしい試合でしょう。アルフレッド・ヒッチコックですら考えつかない結末です。(ドリブルしている)ベルカンプは当然のように、スペースを見ています。そしてウィンテル。脱帽するしかありません」

 トリノとの第1レグは、ヨンクのミドルシュートと、ベルカンプが倒されて得たPKをペテルソンが決め2-2で引き分け。アウェーゴール2倍ルールがあった当時、アヤックスにとって勝ちに等しいドローにサポーターたちは酔いしれ、『ウイー・アー・ザ・チャンピオン』をいつまでも歌っていた。

 第2レグ、風邪を引いたベルカンプが欠場したものの、アヤックスはなんとか0-0で凌ぎきり、87年CWC以来の欧州カップ戦優勝を果たした。その晩、ライツェ広場にはサポーターも集まり、祝勝会が開かれた。

「『ライツェ広場に行く前に、デニスの家に寄っていこう』と誰かが言ったんだ。当時、デニスは両親とともにアムステルダム市内に住んでいた。そこでチームを代表して私がデニスの部屋に行って、トロフィーを見せた」(ブリント/アヤックスTV)

 UEFAカップで6ゴール、2アシストしたベルカンプのことを、アヤックスの誰もが優勝の立役者として認めていたのだ。

 ライツェ広場ではファンハール監督がサポーターたちとこのようなマイクパフォーマンスを楽しんだ。

「デニス・ベルカンプ!」(ファンハール)、「デニス・ベルカンプ!」(サポーター)

「アーヤックス!」(ファンハール)、「アーヤックス!」(サポーター)

 87年はクライフのもとでCWC優勝、92年はファンハールのもとでUEFAカップ優勝。ベルカンプは2人の稀代の名将のもとで名を轟かせたのである。

クライフはわざとベルカンプを怒らせた

「クライフとファンハールは時にベルカンプに試練を与えることがありました」とシモン・ズワルトクライス記者は回想する。

【次ページ】 クライフはわざとベルカンプを怒らせた

BACK 1 2 3 4 5 NEXT
#アーセナル
#デニス・ベルカンプ
#ティエリー・アンリ
#アヤックス
#フランク・ライカールト
#ルイス・ファンハール
#ヨハン・クライフ

海外サッカーの前後の記事

ページトップ