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ベーブ・ルースの娘が「ニッポンの女学生はお気の毒」逸話も…野球の神様ルースが日本で最後にプレーした野球場の悲しき歴史、なぜ“消えた”? 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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posted2023/04/29 11:03

ベーブ・ルースの娘が「ニッポンの女学生はお気の毒」逸話も…野球の神様ルースが日本で最後にプレーした野球場の悲しき歴史、なぜ“消えた”?<Number Web> photograph by Getty Images

1934年の日米野球で来日していたベーブ・ルース。豪快な予告ホームランを放つなど、数々の伝説を残している(写真は1920年撮影)

 まったくその名の通り、宇都宮常設球場のための駅として開業した。東武宇都宮線は、宇都宮市街地にあった宇都宮刑務所の跡地払い下げを受けた東武鉄道が新栃木駅と宇都宮駅を結んで1931年に開業させた路線だ。鉄道開業の翌年、線路のすぐそばに新しい常設の野球場。小野春吉さん、東武宇都宮線のことも、観客の交通のことも、よくよく考えてのことだったのだろう。

 野球場前駅は開業翌年の1933年に南宇都宮駅に改称し、宇都宮特産の大谷石を使った立派な駅舎が建てられた。壁面には野球場最寄り駅らしく、バットとボールを模したデザインがあしらわれている……などといわれているが、どうもこのあたりは真偽のほどが定かではない。いずれにしても、宇都宮市街地から10分ほどで野球場にアクセスできる駅のおかげもあって、宇都宮常設球場は宇都宮市内における随一の野球場として地位を確立していった。

宇都宮での先発は17歳沢村栄治、だったが…

 開場直後から中等学校野球大会(のち高等学校野球大会)の地方予選の舞台として使われるようになり、宇都宮市も市営球場とするべく宇都宮野球連盟や小野春吉さんと交渉。1942年に市営常設球場になっている。こうした地元での立場を考慮すれば、日米野球最終戦の舞台として遜色ないといっていい。収容人員2万人という規模をもつ球場は、当時の地方都市にはめったになかっただろうから、まさにオールスター軍団が戦う日米野球にはうってつけの野球場だった。

 そうして1934年12月1日の日米野球最終戦。全日本は当時17歳の沢村栄治が先発マウンドに上がっている。日米野球と沢村栄治といえば、11月20日、静岡草薙球場でのピッチングが語り草だ。ストレートと大きく曲がるカーブに、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグら強力メジャー打線もきりきり舞い。6回まで2安打7三振に抑え込んだ。7回にはルー・ゲーリッグにソロホームランを打たれるが、許した失点はそれだけで、8回1失点の好投をみせた。日本を代表する投手たちがメジャー強打者に滅多打ちされる中で、ほとんど唯一といっていい沢村の好投は、日本野球にとっての“希望の光”のようなものだった。

 そんな沢村だが、実は好投したのは草薙球場での1試合だけ。ほか3試合に先発、4試合で登板しているが、だいたいよく打たれている。

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