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「じつはジョーダンは“コンバース愛用者”だった」「コンバース+アディダス83%vs17%…弱小だったナイキ」伝説のシューズがすべてを変えた、驚きの実話
posted2023/04/20 17:02
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
AFLO
1984年。
映画「AIR/エアー」の舞台は、1984年である。私のなかではロサンゼルス・オリンピックが開催された年として記憶されるが、映画の冒頭、1984年のアメリカンカルチャーが次々と映し出される。
MTV。
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ジェーン・フォンダのワークアウト。
そしてレーガン対モンデールの大統領選挙と、それに関連したウェンディーズのCM。
NBAに目を移すと、マイケル・ジョーダンがシカゴ・ブルズにドラフトされた年として記憶される。
当時、ジョーダンはノースカロライナ大学の3年生。オリンピックで金メダルを獲得し、1巡目3番指名でシカゴ・ブルズに指名されていた。このドラフトはそれはそれで大きなドラマがある(2番の指名権を持っていたポートランド・トレイルブレイザースはサム・ブーイーというセンターを指名し、これは“惨劇”に終わる。このとき、ブレイザースがジョーダンを指名していたら、NBAの歴史は変わっていた)。
あれからおよそ40年が経ち、映画化にふさわしい題材になったのは、ナイキとマイケル・ジョーダンがいかに契約を交わしたか、そしていまもなお世界中でベストセラーとなっている「AIR JORDAN」がどのようにして生み出されたかというひとつの産業が生まれる物語である。
「コンバース+アディダス83%vsナイキ17%」弱小だったナイキ
この映画を見るために、必要最低限の知識はこれだけあればいい。
●1982年のNCAAトーナメントで、ジョーダンが在籍するノースカロライナ大学は決勝まで進み、ジョージタウン大学と対戦。1年生のジョーダンが優勝を決定づけるシュートを決めた。
ただし、当時のNBAは身長2メートル10センチ以上の「ビッグマン信奉」が根強く、ガードのジョーダンの評価は必ずしも高くなかった。
●1984年時点でのNBAのシューズメーカーのシェアは、コンバースが54%、アディダスが29%、ナイキは17%にしか過ぎなかった。