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「じつはジョーダンは“コンバース愛用者”だった」「コンバース+アディダス83%vs17%…弱小だったナイキ」伝説のシューズがすべてを変えた、驚きの実話
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byAFLO
posted2023/04/20 17:02
1984年のドラフトでシカゴ・ブルズに入団したジョーダン。彼が履いた「AIR JORDAN」は初年度から爆発的な売上を記録した
当時、バスケットでナイキは弱小だった。創業者のフィル・ナイトがオレゴン大学の陸上競技出身だったこともあり、RUNに特化した会社だと見なされていた。見方を変えれば、ナイキはアメリカ人の生活にジョギングという文化を根付かせた功労者でもあった。
スポーツビジネスの“裏側”
この映画の大きなストーリーラインは、他のメーカーに惹かれていたジョーダンに対し、ナイキがどのようにアプローチし、ジョーダン家へのプレゼンテーションに持ち込むかにある。
そこではスポーツビジネスの舞台裏が描かれ(悪態ばかりついているジョーダンの代理人、デビッド・フォーク役のクリス・メッシーナは最高だ)、人脈、コネが重要なことが示される。
マット・デイモン扮するナイキのバスケ担当、ソニー・ヴァッカロはギャンブラーであり、リスクを取って最終プレゼンテーションの機会を得るのだが、プレゼンへのプロセスを描くパートは「仕事の尊さ」を感じさせる名シーンだ。
ジョーダンの象徴ともいえる「Jumpman」のロゴをデザインしたピーター・ムーアの情熱、プレゼン当日、ナイキの創業者であるフィル・ナイト(監督も務めるベン・アフレックがそっくりで笑う)がメンバーに向けてペップトークをするシーンで、私は胸を打たれた。そのシーンは、まるでスポーツの試合に向かうような連帯感がにじみ出ている。
「バスケはイケてないコンテンツだった」
この映画の手触りは、私が大好きだった1980年代のアメリカ映画の雰囲気を醸し出している。スクリーンに映し出される「粒度」は粗く、「明度」は控えめである。
現代は見え過ぎる時代であるが、「AIR/エアー」はあえて1980年代の再現にこだわっている。
プロデューサーのマット・デイモン、監督のベン・アフレックの“バディ”は、40年前に生まれた物語、そしてあの時代に、限りない愛着を注いでいる。
そしてこの映画が浮かび上がらせたのは、1984年こそがバスケットボールにとっては、BCとADの分岐点だったということだ。
つまり、「0年」。
バスケットボールが生み出したカルチャーの基点の年だったということである。