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将棋PRESSBACK NUMBER
「羽生善治さんとベストを尽くして良い作品を」数々の死闘を経て…谷川浩司十七世名人が語る“52歳の羽生将棋”「終盤は全盛時そのまま」
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph byYuki Suenaga
posted2023/02/26 06:02
インタビューに応じてくれた谷川浩司十七世名人。羽生善治九段都の数々のタイトル戦や世代論について、語ってくれた
《あの時、神戸の六甲アイランドの自宅マンションは激しく揺れたが、大きな被害はなかった。翌日、島の対岸にあるLPG(液化石油ガス)タンクのガス漏れで避難勧告が出され、島の南端に半日避難した際は命の危険を感じた。十九日の朝、対局のために妻の運転する車で大阪に移動する時、初めて対岸の惨状を知った。家々が倒れて生き埋めの人たちがいるかもしれない横を何の手助けもできずに通り過ぎることに後ろめたさを覚え、心が痛んだ。大阪に到着して温かい食事と入浴ができることのありがたさを思い知った。翌日に順位戦、数日後には羽生さん相手の王将戦第2局が控えていた。対局に臨んだのは本能のようなものだ。自分にできることは、将棋を指すことしかなかった。》
お互いにベストを尽くして良い作品を作ろうという
この王将戦は、○○××○×という星の流れで最終局にもつれ込み、千日手指し直しの末、谷川が競り勝って王将位を死守した。羽生の史上初の全冠独占が成るかという話題で沸き立っていた世論を「本能で」阻止してみせたのだ。
その後も'96年に竜王を取り返し、'97年には名人を奪い返し、'02年には王位を奪還、'03年の防衛戦でも羽生の挑戦を返り討ちにするなど、羽生との頂点争いは長期間熾烈を極めた。連覇したこの王位戦が谷川41歳、羽生33歳。8歳差はいつまでも変わらなくても、年齢を重ねることについては「気持ちの面でやはり不利感はあった」と振り返る谷川だ。
「最初は同じ20代だったわけですが、こちらがすぐに30代になって、いまから負けているようでは……という気持ちにはなりましたからね。ただ、羽生さんが七冠を達成されて、こちらも取り返すことができてという流れがあり、そこからはお互いにベストを尽くして良い作品を作ろうという気持ちになっていけたかなと」
AIと長時間向かい合うのは孤独で厳しい作業です
将棋界においては特に、年長者はどこまでも辛いことになっているのが窺い知れる。
いまやプロ棋士も、いやプロ棋士だからこそ、持ち前のセンスの高さだけでは上位を維持できなくなり、AIを導入した研究の比重が極端に高まっているという。谷川が現象として驚いているのは、名人を含むA級メンバーのかつてない若年化だ。
「今期は佐藤(康光)さんの成績が上がらなかったのと、B1から昇級してきそうな人がみんな若い人ということで、4月の新しいクラス編成の段階で名人A級の11人に40代以上がいなくなります。渡辺明名人が4月で39歳になりますが、彼が最年長ですね。私が50年前に入会したときから、40代、50代のA級棋士は普通に数人いましたからね。こんな時代はいままでなかったと思います」
五冠を保持している藤井聡太と対戦できる棋士自体が、実質的にトップイレブンとそこに極めて近い人に限られてきており、「最先端の将棋はその人たち以外には即座には意味がわからない」と、十七世名人が嘆息する事態。AIから示される手、弾き出された局面の評価値を理解することはプロにも難しいのだという。