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将棋PRESSBACK NUMBER
「羽生善治さんとベストを尽くして良い作品を」数々の死闘を経て…谷川浩司十七世名人が語る“52歳の羽生将棋”「終盤は全盛時そのまま」
posted2023/02/26 06:02
text by
片山良三Ryozo Katayama
photograph by
Yuki Suenaga
'80年代、'90年代の棋界をリードした谷川浩司十七世名人の、主な対戦相手に歴史が見える。
谷川時代の直前のリーダーだった中原誠十六世名人と98局対戦して56勝42敗。次に多いのが佐藤康光九段との73局で34勝39敗。米長邦雄永世棋聖とは64局の対戦で33勝31敗。森内俊之九段(引退後に十八世名人を名乗る)とは63局で28勝35敗。以下、高橋道雄九段、丸山忠久九段、郷田真隆九段と62局。桐山清澄九段、森下卓九段と48局。加藤一二三九段と46局。その時代の覇権を激しく争った棋士たちの名前が並んでいる。
その上に断トツの168局を戦った宿敵がいる。言うまでもなく羽生善治九段(十九世名人有資格者であり、叡王以外の7大タイトルで永世称号の資格を持つ)だ。対戦成績は62勝106敗。イメージよりも偏ってしまっている数字が、覇権が移るときの残酷さ、言い方をかえれば流血の量を表しているのかもしれない。
90年代初頭に続いた「谷川-羽生」の戦い
谷川-羽生のタイトル戦は、'90年の竜王戦が初対決。谷川から見て○○○×○の4勝1敗というスコアで、ここは貫禄の違いを示した形のタイトル奪取。谷川の表現で「羽生さんは力を溜めている時期」だったそうだ。二人の年齢差は8歳だが、谷川28歳、羽生20歳のこのときは、年長側もそこまでの不利感はなかったかもしれない。
2回目の対決は'92年の竜王戦。谷川連勝の出だしから、羽生が3連勝を返し、第6局を谷川が踏ん張って最終局にもつれ込む大熱戦になったが、最後は若い羽生の寄り切りを許した。同年度は棋王戦でも五番勝負を戦い、谷川から見て○×○××。羽生は20歳からの2年間で溜め込んでいた力を爆発させ、絶対王者が持つビッグタイトルを剥がし取り、棋王位を死守できたことで自信と勢いをつけた。
その後も、'93年棋聖戦前期(棋聖戦は'94年まで年2回行われるタイトル戦だった)、王座戦、棋聖戦後期、'94年棋聖戦前期、王座戦と、実に7回連続で羽生との番勝負に敗退した谷川。意地を見せて立ち上がったのは、羽生が史上初の七冠独占かという話題で盛り上がっていた'95年の王将戦(年度は'94年)だった。
阪神大震災の数日後、対局に臨んだ“本能”
第1局を谷川が先勝したあと、第2局の6日前というタイミングで、あの阪神淡路大震災が起きる。そのときの心境を、谷川は「藤井聡太論 将棋の未来」の中で次のように著している。