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[必然の最年少優勝]霜降り明星 粗品「ホワイトボードに描いた勝利のグラフ」
posted2022/12/03 07:03
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Ichisei Hiramatsu
粗品はせいやと語り合っていた。
とにかく早いとこ、スターになろう。
M-1、どうしても勝ちたい。勝ち抜くためには「最適解」があるはずだと粗品は考えた。
「僕はM-1の休止中に行われていた2013年、'14年の『THE MANZAI』を有料配信で全部見て、予選を通過した50組の漫才を数値化したんです。たとえば、最初のボケまでの秒数や手数といった要素を数値化して折れ線グラフにする。そうしたら、決勝に勝ち残った漫才には一定のパターンがあることに気づいたんです」
粗品が作ったグラフは、横に時間軸を取る。縦の評価軸は「これは正直、企業秘密です」と明かしてくれなかったが、ふたりは折れ線グラフに自分たちが作ったネタを数値化して書き込んで分析していった。
「M-1のネタ作りは、最終的にふたりでホワイトボードに折れ線グラフを書きこんで作ってました。『このボケ、ちょっとタイミングが早いな。こっちにしよか』という感じで話し合って、順番を入れ替えたりしながら作っていく。特に、僕らが優勝した'18年くらいから、M-1の『競技漫才』的な要素が加速していったので、準々決勝、準決勝でどうお客さんを笑かすか、それに適したパターンは見つけてましたね」
せいやは1992年、粗品は'93年の早生まれ。違う高校に通っていたが、漫才の大会で激突し、お互いを知るようになっていた。粗品が世に出るのは早かった。19歳にして関西の年末漫才番組『オールザッツ漫才』の「FootCutバトル」コーナーで優勝し、ピン芸人として早くから才能の片鱗を見せていた。そして'13年にせいやと霜降り明星を結成。だが、成功への渇望とは裏腹に、賞レースで思ったような結果を得られなかった。