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「1番、羽生結弦さん」“企画もプロデュースも出演も”羽生結弦…記者が驚いたプロ初のアイスショーの中身「まさか90分を1人で…」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAsami Enomoto

posted2022/11/08 17:02

「1番、羽生結弦さん」“企画もプロデュースも出演も”羽生結弦…記者が驚いたプロ初のアイスショーの中身「まさか90分を1人で…」<Number Web> photograph by Asami Enomoto

11月4日に開幕したアイスショー「プロローグ」で演技する羽生結弦

『いつか終わる夢』に込められた羽生の思い

 さらには照明やプロジェクションマッピングなど、特筆すべき点が多々あった。それらをプロデュースした力、スケーターとして氷上で見せた演技――両面において、傑出した力を示しながら、今までにないショーを形としてみせた。

 8つのプログラムのうち初めて披露された新プログラム『いつか終わる夢』は自身で振り付けたと言う。そこには羽生の思いが込められていた。

「僕自身の夢って、もともとはオリンピック2連覇でした。そのあとに4回転半という夢をまたあらためて設定して、追い求めてきました。ある意味では、アマチュアという競技のレベルでは僕は達成することはできなかったし、ある意味ではISU公認の初めての4回転半の成功者にはなれませんでした。そういう意味では、終わってしまった夢かもしれません。そういう意味で、いつか終わる夢。皆さんに期待していただいているのにできない、だけどやりたいと願う。だけど疲れてもうやりたくないって。皆さんに応援していただければいただくほど、なんか自分の気持ちがおろそかになっていって、壊れていって、何も聞きたくなくなって。でもやっぱり皆さんの期待に応えたいみたいな。自分の心の中のジレンマみたいなものを表現したつもりです」

 自身の夢を、皆の夢を背負いつつ、その中にあった葛藤を表したプログラムは、スケーティングというフィギュアスケートの魅力、自分自身の身体の特性をいかした動作、音楽と照明やマッピングが織り込まれ、余韻を残した。

努力あってこそ生まれたアイスショーだった

 今後について尋ねられると、羽生は答えた。

「プロ転向の記者会見でも言ったかもしれないですけど、プロだからこその目標みたいなものって具体的に見えてないんですよね。こういうことって、ある意味僕の人生史上初めてのことなんですよ。今までは4歳の頃から常にオリンピックで金メダルを獲るという目標があった上で生活してきたので。ただ、まずは、この『プロローグ』を毎日毎日、成功させるために努力していったこととか、今日は今日で1つ1つのジャンプだったり演技だったりに集中していったこととかが積み重なって、新たな羽生結弦というステージにつながっていったり、新たな自分の基盤ができていったりすると思うので。今できることを目いっぱいやって、またフィギュアスケートというものの限界を超えていけるようにしたいなという気持ちでいます。それが、これからの僕の物語になったらいいなって思います」

 ここからは、オリンピックのように半ば自動的に設定された目標はない。夢を、目標を自ら創り上げていかなければならない。羽生の語るように一歩一歩、真摯な積み重ねの日々の上に生まれてくるのだろう。それは新しいフィギュアスケーターのあり方、生き方を模索する、つまりは新たな世界を築いていく試みでもある。

 簡単ではない。それでも、豊かに広がる可能性と未来があることは、この日示された。幼少期からの数々のプログラムを演じることでスケーターとして長年歩んできた時間を見せ、プロ転向後もかわることのない努力あってこそ生まれたアイスショーが雄弁にそれを伝える。

 その意味でも、まさに「プロローグ」たる一夜であった。

(撮影=榎本麻美)

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