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「羽生結弦くんを中心に撮ろうとあの時、決めました」10年以上撮影のカメラマンが語る転機となった1枚「あの瞬間、私はソチ五輪を撮れた!と…」
posted2022/08/30 18:08
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Sunao Noto(a presto)
その羽生と同じ仙台出身で、10年以上にわたり撮影を続けてきた写真家・能登直と『Number』で羽生の表紙写真を何度も撮り続けてきた文藝春秋写真部の榎本麻美が「印象に残る写真ベスト5」、「被写体としての羽生結弦」というテーマで語り合った。<全3回の1回目/続きは#2、#3へ>
能登 こんにちは。今日はよろしくお願いします。
榎本 能登さん、よろしくお願いします。先日の仙台での公開練習はお疲れ様でした。撮影の現場ではよくご一緒するのですが、こうしてしっかり座って写真のお話をするのはなんだか変な感じですね(笑)。最初にお会いしたのがたしか2013年秋のスケートカナダで、それも9年前になるんですね。
会見を聞いて、寂しさは感じなかった
能登 コロナの前は、カナダでの撮影の時は田中(宣明)さんなど他のカメラマンと一緒にアパートメントを借りていて、撮影後にカメラマンで集まって、ご飯を一緒に食べたり……。
榎本 みんなで能登さんのカレーをごちそうになったりしましたね。今回、せっかくの機会なので、長年撮影されてきた能登さんが先日の羽生さんの会見をどうご覧になったか、聞いてみたいです。
能登 「会見をやる」と聞いた時は、一体何を話すのだろうとわからない部分はありました。その時は仮に競技から離れるということであれば、僕自身寂しい気持ちになるのではないかと想像していたんです。ただ会見を聞いていくと、そういう寂しさは感じなくて、むしろ想像を超えてくる何かをこれから見せてくれるんだろうな、というワクワクが強かったですね。
榎本 たしかに会見を聞いていて、寂しさというのは感じなかったですね。私たちが思い描くプロスケーター像を変えてくれるのではないかと「これから」が楽しみになりました。その後、8月10日に行われた公開練習を見ていても、競技会に向けてでなくてもひとりでここまで追い込んでやり続けられるのか、と驚きを感じました。
能登 試合で結果を残すというモチベーションとは別の次元で目指すものがあるように思いましたし、大勢の報道陣を前にあの練習をできるというのはすごいなと、撮りながら感じましたね。
榎本 その羽生さんの競技生活での「思い出に残る写真」をテーマに対談をしてほしいとナンバーウェブからオーダーがありまして、私も能登さんもそれぞれ5枚準備してきました。早速1枚ずつ見ていきましょうか。能登さんの1枚目、お願いします。