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史上唯一“芦毛のダービー馬”ウィナーズサークルは引退後に…? “東大”で過ごした幸せな晩年「学生さんにとってもありがたい馬でした」
text by
石田敏徳Toshinori Ishida
photograph bySankei Shimbun
posted2022/05/31 17:00
1989年、茨城産、そして芦毛の馬として初めて日本ダービーを制したウィナーズサークル。栄光を掴んだ後、王者はどのような人生を歩んだのか
ダービー制覇から東大に移るまで
泥んこの不良馬場を舞台に争われたその皐月賞はドクタースパートの2着に追い込み、ダービーの出走権を確保。晴天の良馬場とコンディションが一転したダービーでは、父譲りの息の長い末脚を繰り出してリアルバースデーに競り勝った。ちなみにウィナーズサークルが生まれた'86年、日本で生産された約7700頭のサラブレッドのうち、茨城産馬は僅か34頭。毛色や戦績も含め、異端でマイノリティーといえる存在が世代の頂点に君臨した。
しかし秋初戦の京都新聞杯は4着に敗れ、続く菊花賞も10着に大敗。レース後に骨折が判明して戦列を離れ、復帰はかなわないまま、翌年秋に引退が決まる。'91年からは北海道の本桐牧場で種牡馬生活のスタートを切ったが大物産駒には恵まれず、シンジケートは'96年に解散。年々、減少傾向にあった種付け頭数は以降、激減し、14歳になった2000年、生まれ故郷の茨城県にある東京大学大学院農学生命科学研究科附属牧場(以下、東大牧場)へ移動した。
そもそもなぜ、東大牧場に?
畜産を学ぶ学生たちの教育と実習、そして研究施設として'49年に開設された東大牧場では、'58年から競走馬の生産にも取り組んできた。総面積が約36ha、広大な敷地では牛、豚、ヤギなど、様々な動物が飼育されているが、そのなかでも馬はやや特殊な存在だと助教の李俊佑博士は指摘する。
「馬は体が大きいのに動きは俊敏で、噛んだり、蹴ったりもするので、初心者には取り扱いが難しい動物です。しかし世話をしていく中でコミュニケーションもとれるようになる。まずは馬から入り、他の家畜と比べながら学んでいくのがここの方針です」