オリンピックPRESSBACK NUMBER
《体操女子五輪代表21歳の引退》コーチの母に「やめたい」と漏らした手のしびれ… “涙の1分半”を終えた畠田瞳が明かす次の夢
posted2022/05/12 06:00
text by
長谷部良太Ryota Hasebe
photograph by
YUTAKA/AFLO SPORT
今まで簡単にできていたことが急にできなくなった時、自分に絶望することは誰にでもあり得る。21歳の畠田瞳にとって、それは12年間も続けてきた体操競技から離れる決断をするきっかけになった。
今年2月。首の大けがからの復帰を目指して東京・味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)で練習に励んでいた畠田は、得意の段違い平行棒でC難度の基本技「後方屈身足裏支持回転倒立(通称フット倒立)」から次の技に入ろうとした瞬間、手を滑らせて落下した。
幸いにもスポンジを詰めた「ピットエリア」に落ちたためけがはなかったものの、この時、母でコーチの友紀子さんに初めて「やめたい」と漏らした。友紀子さんは当時を振り返る。
「その瞬間に、『分かった。もうやめよう』となった。どちらかというと、その言葉を待っていたのもあったかな」
友紀子さんは、もう少し早く娘の口から「引退」の言葉が出てくると思っていた。
シャンプーもできず、箸も使えないほどの痛み
畠田がけがをしたのは昨年10月の世界選手権の真っただ中。個人総合予選を4位で通過し、決勝に向けて段違い平行棒を練習していた際、手放し技で落下して首を負傷した。「中心性脊髄損傷・頸椎打撲傷」と診断され、すぐに入院した。両腕はしびれ、日常生活もままならない。両手をグー、パーと動かすことさえ困難で、痛みでシャンプーなどできない。
箸も使えず、食事はしばらくフォークで。着替えも1人では難しかった。
そんな状況が1カ月ほど続いたにもかかわらず、体操に関して最初に母に告げた言葉は、「いつから練習を始められるかな」だった。
「ああ、やる気なんだなと思って。こちらから引退の言葉を口にするのは違うと思ったので、彼女が納得できるまでとことん付き合うしかないと思った」
友紀子さんは、腹をくくった。
けがから1~2カ月もすると徐々に痛みが引き、少しずつ練習を再開した。この頃は、本人も「(2024年)パリ・オリンピックまでに状態を回復させて、やっていこう」と目標を定め、復帰に向けて気持ちを切らさないでいた。ところが、得意種目の簡単な技でさえ満足にできなくなった現実を突きつけられ、畠田は「限界を感じて、心が折れた」という。