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「足が砕けてもテレマークを入れます」高梨沙羅16歳がライバル対決で示した“プライドと執念”《涙の北京五輪後にW杯で復活優勝》
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byGetty Images
posted2022/03/09 17:01
失意の北京冬季五輪後、ふたたび心を奮い立たせ、ワールドカップで2勝をあげている高梨沙羅。2013年の世界選手権でも、不屈の闘志の片鱗を示していた
目標として定めていた前年度ワールドカップ総合優勝のサラ・ヘンドリクソンが、春先に膝を手術した影響で、開幕から本調子ではなかったのも高梨を利したかもしれない。
それでも高梨はワールドカップ総合優勝を決めた大会で笑顔を見せて喜んだ。それは、結果以上に、課題の克服への手ごたえをつかむことができたからだった。
ヘンドリクソンとの差はテレマークにあった
実は飛距離だけを見れば、ヘンドリクソンが圧倒的な強さを見せた前のシーズンも高梨が上回っていることは珍しくなかった。それでも勝てなかったいちばんの要因は、「テレマーク」にあった。
ジャンプの成績は飛距離だけではなく、飛距離をポイントに換算する「飛距離点」と、空中での姿勢や着地の姿勢、動作などの美しさをポイント化する「飛型点」の合計点によって決まる。ただ遠くへ飛んだ選手が勝つわけではない。
飛型点を決める要素のひとつに、着地時にテレマークの姿勢ができているかできていないかがある。
テレマークを決めてくるヘンドリクソンに対し、テレマークを決められないことで、飛距離では上回っても、高梨は勝つことができずにいた。
それは単純に、技術の差とは言えない。低く飛ぶヘンドリクソン、高い曲線を描く高梨、2人の飛行曲線の違いが、テレマークの成功しやすさに影響しているからだ。
その上で、テレマークをいかに入れるかを課題として臨んだシーズンだった。
ワールドカップ総合優勝を決めたリュブノ大会では、テレマークをきちんと入れて勝利することができた。
練習の成果が出たことがうれしかった。
踏み切りに不安を抱えていた世界選手権
世界一の称号を手に入れた高梨にとって、挫折とは言わないまでも、ある種の躓きを感じたことがあったとしたら、それはイタリア・バルディフィエメで行なわれた世界選手権だったかもしれない。
2011年に続き2度目の出場となったこの大会では優勝候補の筆頭と目されていた。
会場入りした高梨は、しかし、公式練習が始まると、浮かない表情でいることが増えていった。ジャンプ台にどう対応すればよいか、分からなくなっていたのだ。
ジャンプ台の形状は、競技場ごとに特徴があって異なっている。選手も競技場の得手、不得手が出てくる。
世界選手権が行なわれた競技場は、直前のワールドカップのリュブノの会場と比べ、助走路の傾斜が緩くできていた。その違いが踏み切りのタイミングを微妙に狂わせた。