- #1
- #2
Number ExBACK NUMBER
「足が砕けてもテレマークを入れます」高梨沙羅16歳がライバル対決で示した“プライドと執念”《涙の北京五輪後にW杯で復活優勝》
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byGetty Images
posted2022/03/09 17:01
失意の北京冬季五輪後、ふたたび心を奮い立たせ、ワールドカップで2勝をあげている高梨沙羅。2013年の世界選手権でも、不屈の闘志の片鱗を示していた
何本飛んでも、納得のいくジャンプがなかなかできない。しかも踏み切りの修正が思うようにいっていない。どうすればいいんだろう。不安が外に表れていた。
2月22日、不安を抱えたまま、個人戦を迎えた。
16時、1本目が始まる。106mを飛んだサラ・ヘンドリクソンの次、ラストが高梨だった。
ヘンドリクソンのジャンプをスターティングゲートから見届けた高梨が飛んだ。すーっと伸びる。着地すると、両手でガッツポーズした高梨の口元に笑みがこばれた。会場に入って初めて見せた笑顔だった。104.5mでヘンドリクソンに次ぐ2位につける。
17時をまわり、空が暗さを増していた。2本目が始まる。2位の高梨はヘンドリクソンの前に飛ぶ。
ゆっくりスタートを切ると、踏み切る。着地では懸命に右足を伸ばしテレマークを入れる。
103mで1位に立った。合計得点は251.0点。
ヘンドリクソンを待ち受ける。ヘンドリクソンは高梨と同じ103m。合計253.7点。
その差は2.7点。ごくわずかな差で、金メダルを逃した。
父が国際電話で伝えた「最適なアドバイス」
ただ、その表情は柔らかかった。
「納得のいくジャンプができました」
ほっとしたように口にした。
高梨は、スタートでのリズムを意識し、助走姿勢をゆったりととることを心がけたのだと言った。するとその後の動作が滑らかになり、復調したのである。
蔵王でのワールドカップのあと、渡瀬弥太郎はチーフコーチを辞任し、コーチの小川孝博がチーフを代行していた。
小川もこのように評価した。
「修正できたというのはたいしたものです。銀メダルは素晴らしい」
本来のジャンプを取り戻すことができたのには、実は、父、寛也のアドバイスがあった。
大会のとき、寛也は現地には行かず、日本にいた。
「試合を前に、日本の時間が夜中すぎだろうとなんだろうと、電話がかかってきました。それだけどうしたらいいか、困っていたのだと思います」
高梨もそれを認める。
「世界選手権の前は調子が落ちていて、どう修正すればいいのかよくわからなくなっていたときでした。もう自分ではどうしようもないから、日本にいるお父さんに電話をしました」
どうにも打開策が見えない状況の中、周囲に頼ろうにも頼れない。切羽つまったとき、求めたのが父の言葉だった。
「飛んだときの状況を伝えたら、こうしたらいいんじゃないか、と最適なアドバイスをくれて、本番までに間に合いました」