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“羽生結弦のコーチ”ブライアン・オーサー60歳ってどんな人? 「ミスター・トリプルアクセル」と呼ばれた名スケーターが泣き崩れた日
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byAFLO
posted2022/02/08 11:02
「ブライアンの闘い」と称される名勝負となったカルガリー五輪の表彰式。左から、ブライアン・オーサー、ブライアン・ボイタノ、ヴィクトール・ペトレンコ
「ブライアンの闘い」は何が凄かったのか?
カルガリーオリンピックでは、前年の世界チャンピオンであるオーサーが、最有力金メダリスト候補とされていた。
規定ではボイタノが2位、オーサーが3位。SPではオーサーが1位、ボイタノが2位。当時の採点法では、規定が30%、SPが20%の計算で、ほとんどタイだった二人のうちフリーで勝った方が優勝、という状況だった。
「ミスター・トリプルアクセル」と呼ばれていたものの、オーサーは決してジャンプばかりの選手ではなく、音楽の表現の豊かさ、細かいトランジションなどが高く評価されていたアーティスト気質の選手でもあった。その意味で、後に彼が羽生のコーチになったというのは適任だったと言うしかない。
その一方ボイタノは、正確なジャンプ技術を持ち、端正なスケート技術がある一方で、表情に乏しく「サイボーグ」「ロボットのよう」という批判もあった。だがサンドラ・ベジック振付による「ナポレオン」の凛々しく威厳のあるキャラクターがぴったりはまり、ボイタノの芸術的印象を助けた。
勝敗を分けたのは“トリプルアクセル”だった
最終的に勝負を分けたのは、皮肉なことにオーサーが得意としていた3アクセルだった。
先の滑走だったボイタノは、彼の名前がつけられた片手を上げた姿勢で跳ぶ「タノルッツ」から演技を開始。そして2度の3アクセルを含む、8本の3回転ジャンプを成功させた。
一方ショスタコービッチの音楽で滑ったオーサーは、前半の3フリップでステップアウトしたが、決め手となったのは後半に予定していた2度目の3アクセルを2アクセルに変更したこと。結局3アクセルを1度しか跳ばず、3回転を合計7本しか入れなかった。
「スピンを終えた後、疲労を感じた。アクセルへの準備をしながら、転倒は許されないことがわかっていた。ジャンプの10秒前に、ダブルアクセルにしようと決めた」
オーサーの自伝「A Skater’s Life」にそう書かれている。この時、オーサーはボイタノが2度3アクセルを入れたことを知らなかったという。知っていたなら、無理に二度目の3アクセルに挑み、恐らく転倒をしていただろう、とも書いている。
それでも演技が終わった直後は、勝ったと思っていた。キス&クライで採点を目にした時、当時の6点満点の採点法でとっさに自分が1位なのか2位なのか判断できなかった。実際には9人のジャッジが4-5に分かれて、オーサーは2位。
「セカンド?」とコーチに何度か確認するオーサーの痛々しい姿は、未だに映像に残されている。