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小平奈緒19歳が「下手だね。修正しないと世界はないよ」と言われた日… 清水宏保と共通する“究極の滑りへの探求心”とは
posted2022/02/17 11:01
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
Ryosuke Menju/JMPA / Kazuaki Nishiyama/JMPA
日本スケート界初の金メダルを獲得した長野五輪から20年。平昌五輪で小平奈緒が清水宏保以来となる快挙を成し遂げた。ともに理論派で知られる結城匡啓に師事し、滑りの技を追求。その探究心と集中力が、究極の滑りへとつながっている。
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平成の五輪スピードスケート史に燦然と輝く男女500mの金メダルがある。1998年長野五輪の清水宏保と、2018年平昌五輪の小平奈緒。20年の時をまたいで誕生した2人の金メダリストが追い求めてきた世界を、インタビューという名の顕微鏡で覗かせてもらった。するとそこに見えたのは、究極の滑りという一本の道だった。
2つの金字塔に触れる前に、紹介しておかねばならない27年前の殊勲レースがある。ときは'92年3月。平成初の五輪であるアルベールビル五輪の約1カ月後だった。ワールドカップ(W杯)サバレン大会(ノルウェー)で、筑波大大学院博士課程で学んでいた結城匡啓が3位になった。
26歳で初めて上がるW杯の表彰台。当時、オランダの研究者が提唱していた「横に蹴ることだけが加速につながる」という理論に疑問を持っていた結城は、10台以上のカメラでスケートの動作を撮影してたどり着いた独自の理論を、W杯という最高峰の舞台で自ら証明したのだった。
「僕自身、机上の理論を氷の上で証明するイメージで滑っていたのですが、横に蹴るだけでなく、横に蹴りながら体を前に運ぶということがデータに出て、それを自分でやったら急激に速くなったんです」
「僕が26歳でやっと気がついた氷への力の伝え方を……」
競技者としてはナンバーワンに到達することはできなかったが、研究者と実践者という2つの顔を併せ持つという意味ではオンリーワンの存在だった。
その結城が研究の末にやっと解明した理詰めの技術を、ジュニア時代から会得していたのが清水である。結城は北海道札幌市のリンクで身長162cmの小柄な高校生の滑りを見た瞬間に目を奪われ、「僕が26歳でやっと気がついた氷への力の伝え方をどうしてできるの?」と声を掛けたそうだ。
結城は'93-'94シーズンを最後に現役を引退。その後は長野五輪に向けて強化を図る日本スケート連盟の科学班メンバーとして選手をサポートする側に廻った。日本勢は急成長し、長野五輪の前年シーズンには清水が500mでW杯総合優勝を飾った。