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小平奈緒19歳が「下手だね。修正しないと世界はないよ」と言われた日… 清水宏保と共通する“究極の滑りへの探求心”とは 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byRyosuke Menju/JMPA / Kazuaki Nishiyama/JMPA

posted2022/02/17 11:01

小平奈緒19歳が「下手だね。修正しないと世界はないよ」と言われた日… 清水宏保と共通する“究極の滑りへの探求心”とは<Number Web> photograph by Ryosuke Menju/JMPA / Kazuaki Nishiyama/JMPA

(左)2018 PyeongChang 五輪レコードを塗り替える 36秒94と、低地リンクの常識を打ち破る記録を叩き出した。(右)1998 Nagano 長野五輪ではスケート競技で日本史上初の金メダルを獲得する快挙を成し遂げた

21歳の小平に抱いた率直な第一印象とは

「結城さんとはその頃から『未来を見たら33秒台は出る』という話をしていましたから、今年3月にクリズニコフが33秒61を出したときは、もう少し早く出ても良かったと思う一方で、すごい数字だと感じました。予測の中では33秒台半ばまでは想定していませんでしたから。僕自身は33秒台を出せなかったことが人生で唯一の心残り。手応えはあったので、なおさらでした」

 清水が小平と初めて話したのは'07年11月のことである。既に33歳で大ベテランの域に達した清水のところに、前年初めてW杯代表になった当時21歳の小平が挨拶に来た。

「謙虚で、何もかも遠慮がちに振る舞っていて、ものすごくはにかんでいたのを覚えていますね。当時はパワフルに滑るイメージ。でも、正直、技術的には上手い選手ではなかった。もう1歩2歩、先があるんじゃないのかなと思っていました」

 長野県茅野市に生まれ、地元での五輪を小5で迎えた小平は、清水が金メダルを獲得した姿を見て、強いあこがれを抱いた。その後、清水が結城と個人契約を結んで世界記録を更新したことや、結城が勤める信州大のスケート選手たちが自己記録をどんどん伸ばしていることを知り、「ここには何かがある」と感じ、'05年春、無事に入学試験を突破した。

「下手だね。フォームを修正していかないと世界はないよ」

「下手だね。フォームを修正していかないと世界はないよ」

 入学してきたばかりの小平にそう厳しい言葉を掛けた時、我が意を得たりと欣喜雀躍した小平の姿は、結城を驚かせた。小平がその理由を懐かしそうに振り返る。

「それまでの私は体力で何とか滑っている状態でした。自分でも下手だなと思っていましたし、とにかくスケートの知識に飢えていました。結城先生にそう言われたのは自分も望んでいたことだったんです」

 信州大に入る前から小平には「究極の滑りを求めよう」という決意があった。その源流は清水だ。テレビで清水の特集を見たり、清水の著書を読んだりしながら、体や技術を細胞レベルで変化させられるという考え方に、小平は感化されていた。

「清水さんは痛みが伝わるくらいの壮絶なトレーニングをされていました。その姿を見て人間はここまでできるのだと感じてからは、誰かに勝つことよりも、人間の限界に挑む姿が格好良く見えたんです」

 その人間の限界への挑戦に科学的なサポートをしてくれるのが結城だった。

【次ページ】 「22カ月計画」を立てて、平昌五輪を目指した

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