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小平奈緒19歳が「下手だね。修正しないと世界はないよ」と言われた日… 清水宏保と共通する“究極の滑りへの探求心”とは

posted2022/02/17 11:01

 
小平奈緒19歳が「下手だね。修正しないと世界はないよ」と言われた日… 清水宏保と共通する“究極の滑りへの探求心”とは<Number Web> photograph by Ryosuke Menju/JMPA / Kazuaki Nishiyama/JMPA

(左)2018 PyeongChang 五輪レコードを塗り替える 36秒94と、低地リンクの常識を打ち破る記録を叩き出した。(右)1998 Nagano 長野五輪ではスケート競技で日本史上初の金メダルを獲得する快挙を成し遂げた

text by

矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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Ryosuke Menju/JMPA / Kazuaki Nishiyama/JMPA

熱戦が続く北京五輪で、スピードスケート女子1000mに小平奈緒が登場する。平昌五輪では500mで金、1000mで銀メダルを獲得したスケーターは、どのような探究心を持って自らを磨き上げたか。偉大な先人・清水宏保から繋がるストーリーを無料公開します。《初出:Number977号 2019年4月25日発売号『究極の滑りを追い求めて 清水宏保×小平奈緒「氷上の求道者のDNA」/肩書などはすべて当時》

 日本スケート界初の金メダルを獲得した長野五輪から20年。平昌五輪で小平奈緒が清水宏保以来となる快挙を成し遂げた。ともに理論派で知られる結城匡啓に師事し、滑りの技を追求。その探究心と集中力が、究極の滑りへとつながっている。

◇ ◇ ◇

 平成の五輪スピードスケート史に燦然と輝く男女500mの金メダルがある。1998年長野五輪の清水宏保と、2018年平昌五輪の小平奈緒。20年の時をまたいで誕生した2人の金メダリストが追い求めてきた世界を、インタビューという名の顕微鏡で覗かせてもらった。するとそこに見えたのは、究極の滑りという一本の道だった。

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 2つの金字塔に触れる前に、紹介しておかねばならない27年前の殊勲レースがある。ときは'92年3月。平成初の五輪であるアルベールビル五輪の約1カ月後だった。ワールドカップ(W杯)サバレン大会(ノルウェー)で、筑波大大学院博士課程で学んでいた結城匡啓が3位になった。

 26歳で初めて上がるW杯の表彰台。当時、オランダの研究者が提唱していた「横に蹴ることだけが加速につながる」という理論に疑問を持っていた結城は、10台以上のカメラでスケートの動作を撮影してたどり着いた独自の理論を、W杯という最高峰の舞台で自ら証明したのだった。

「僕自身、机上の理論を氷の上で証明するイメージで滑っていたのですが、横に蹴るだけでなく、横に蹴りながら体を前に運ぶということがデータに出て、それを自分でやったら急激に速くなったんです」

「僕が26歳でやっと気がついた氷への力の伝え方を……」

 競技者としてはナンバーワンに到達することはできなかったが、研究者と実践者という2つの顔を併せ持つという意味ではオンリーワンの存在だった。

 その結城が研究の末にやっと解明した理詰めの技術を、ジュニア時代から会得していたのが清水である。結城は北海道札幌市のリンクで身長162cmの小柄な高校生の滑りを見た瞬間に目を奪われ、「僕が26歳でやっと気がついた氷への力の伝え方をどうしてできるの?」と声を掛けたそうだ。

 結城は'93-'94シーズンを最後に現役を引退。その後は長野五輪に向けて強化を図る日本スケート連盟の科学班メンバーとして選手をサポートする側に廻った。日本勢は急成長し、長野五輪の前年シーズンには清水が500mでW杯総合優勝を飾った。

【次ページ】 スラップスケート導入の背景とは

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