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“魂のジャーマン”にカメラマンも涙…難病と戦う関根“シュレック”秀樹が命がけでリングに立つ理由「諦めなければ良いことがあるから」

posted2022/01/13 17:04

 
“魂のジャーマン”にカメラマンも涙…難病と戦う関根“シュレック”秀樹が命がけでリングに立つ理由「諦めなければ良いことがあるから」<Number Web> photograph by ©RIZIN FF Susumu Nagao

Uインターや全日本で活躍したゲーリー・オブライトを敬愛し、コスチュームの「N」のロゴを引き継ぐ関根“シュレック”秀樹。ジャーマンスープレックスは2000年に36歳で夭折したオブライトの必殺技でもあった

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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©RIZIN FF Susumu Nagao

 関根“シュレック”秀樹は身長175cm、体重115kg、48歳の現役プロ格闘家だ。36歳でリングデビューした関根のプロフィールで特筆すべきは、静岡県警の元警部補だったことだろう。警察官の職務に就きながら、柔術、組み技の世界大会に出場。さらに下垂体腺腫(一般的に巨人症とも呼ばれる)という難病を患いながら、MMAやプロレスのリングで試合をしている。まさに“超人”と呼ぶにふさわしいファイターなのだ。

静岡県警時代のボンサイ柔術との出会い

 関根は小学校から大学まで、柔道に打ち込む生活を送っていた。柔道部の同級生の影響もあり、UWFインターナショナル(以下Uインター)が大好きだった。卒業後はUインターへ入団するつもりだったが、同団体は彼が大学4年のときに活動停止。失意のなか、周りの人たちの勧めもあり、静岡県警に就職した。転機が訪れたのは、外国人による犯罪を取り締まる、国際捜査課に異動になったときのことだった。当時の静岡県浜松市にはブラジル人窃盗団が多く存在していた。2008年の秋、関根はブラジル人たちのことをより深く理解するため、ソウザ兄弟が主宰するボンサイ柔術へ入門した。すると柔術を習い始めてわずか4カ月で大会に優勝。2009年には浜松でMMAデビューし、膝十字で完勝した。

 私が関根を知ったのは、2010年2月のグラップリング(打撃のない組み技の試合)マッチだった。後にRIZINでエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦することになる、シング・心・ジャディブとの一戦。関根は20cmの身長差をものともせず、ジャーマンスープレックスで投げまくる。豪快な投げ技が決まる度にリングが波打った。また、彼の筋骨隆々の肉体と風貌は、まるで鎧を纏っているような重厚さがあった。

 その後も関根は警察官としての職務を全うしながら、試合にも出場して連勝し続けた。マスクを着用し、素顔を隠して試合をすることもあった。警察官と格闘家の二足の草鞋を履くことは、我々の想像以上に大変な苦労もあったと思われる。

「後悔のない人生を送りたい」43歳の決断

 関根は43歳のとき、人生最大の決断をする。それは警察官という安定した地位を捨て、プロのファイターになるというものだった。私はSNSでそのことを知り、すぐに連絡を取った。彼は電話口でこう語った。

「自分はプロレスラーになりたかった。この先、いつどうなるか分からないのなら、後悔のない人生を送りたい。自分の好きなことをやっていきたいんです」

【次ページ】 RIZIN初戦は惨敗、それでも関根は戦い続けた

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