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“魂のジャーマン”にカメラマンも涙…難病と戦う関根“シュレック”秀樹が命がけでリングに立つ理由「諦めなければ良いことがあるから」 

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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photograph by©RIZIN FF Susumu Nagao

posted2022/01/13 17:04

“魂のジャーマン”にカメラマンも涙…難病と戦う関根“シュレック”秀樹が命がけでリングに立つ理由「諦めなければ良いことがあるから」<Number Web> photograph by ©RIZIN FF Susumu Nagao

Uインターや全日本で活躍したゲーリー・オブライトを敬愛し、コスチュームの「N」のロゴを引き継ぐ関根“シュレック”秀樹。ジャーマンスープレックスは2000年に36歳で夭折したオブライトの必殺技でもあった

 私は矢継ぎ早に、生活に対する不安はないのか、奥さんは何と言っているのかと聞いた。

「自分には子供がいないし、妻は手に職を持っています。贅沢をしなければ食べていける。妻も最初は驚いていましたが、賛同してくれました」

 その意志は非常に固く、見事なまでに揺るぎのないものだった。

 退職後の関根は、アジア最大の格闘技団体「ONE Championship」と契約。同団体は本拠地のシンガポールだけでなく、日本、中国、タイ、ミャンマーなど、アジア全土で定期的に興行を開催している。2016年、ONEでのデビュー戦はフィリピンで行われたブランドン・ヴェラとのヘビー級タイトルマッチだったが、惨敗。その後もKO負けが続き、2019年からは戦いの場を日本に戻すことになった。9月の復帰戦をTKOで飾った関根の次戦は、RIZINだった。RIZINは2000年代の格闘技ブームをけん引したPRIDEの代表である榊原信行氏が立ち上げた団体だ。Uインターの流れを汲むPRIDEの大ファンだった関根にとっては、まさに夢の舞台での試合だった。

RIZIN初戦は惨敗、それでも関根は戦い続けた

 2020年2月、『RIZIN.21』は関根の地元の浜松で行われた。対戦相手のロッキー・マルティネスはパワフルな打撃が持ち味の選手。寝技を得意とする関根にとっては苦手なタイプであり、苦戦が予想された。1ラウンド終盤、強烈な打撃を受けた関根の身体がロープの外まで飛び出した。レフェリーが関根にリング内へ戻るように指示するが、自力では動けなくなり試合を止められた。完敗だった。この勝利でマルティネスはUFCに移籍する。一方の関根は格闘技から引退し、プロレスに専念するだろうと私は思った。

 しかし、関根は引退などまったく考えていなかった。プロレスのリングに上がりながら、MMAでも継続して試合をしている。何が彼をそんなに駆り立てるのか。関根は転職する大きな理由として、「友人が白血病で亡くなったこと。東日本大震災で多くの生命が失われたこと」を挙げていた。「人はいつ死ぬかわからない。だから今を精一杯生きるのだ」と。

 2021年、関根は2試合連続でKO勝ちを収めた。12月初旬、RIZINの大晦日の対戦カード発表の記者会見が開かれ、彼は会見のひな壇に座っていた。会見中、ときおり声を詰まらせながら感慨を口にした。

「大晦日は毎年、妻と一緒にさいたまスーパーアリーナの客席から観戦していました。自分がそこで試合をするなんて、考えたこともなかった。夢のような……」

【次ページ】 試合の流れを変えたジャーマンスープレックス

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