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日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん」 欧州で目撃した、勝利(とビール)を真剣に目指す大人たち 

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中野遼太郎

中野遼太郎Ryotaro Nakano

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posted2021/12/30 11:02

日本に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん」 欧州で目撃した、勝利(とビール)を真剣に目指す大人たち<Number Web> photograph by AFLO

4カ国、7クラブでプレーし、現在も欧州で指導経験を積む中野遼太郎氏。現地で見たサッカーを楽しむ人々を見て日本との違いを感じたという

 ピッチ内には見えない序列があります。発言権、と言い換えても良いかもしれません。

 しかしディスカッションの母数が少ない日本においては、見えない序列は見えないまま、しかし確実に強化されていきます。

 発言権は「大きい/小さい」ではなく「与えられるもの・順番が回ってくるもの」として「ある/ない」に寄る形で着地するので、現実的に序列を操作できるのは監督のような立場の人間のみになり、そのヒエラルキーを逆転したいならば「黙々と努力する」ことが強烈に推奨され、「いや俺はこうしたい!こう思う!」というような騒ぎを起こすタイプは敬遠されやすいのではないでしょうか。

 恥の文化も作用するので、「下手くそが意見を言う」ことに対して、発信・受信の双方向で許容範囲が狭いのです。冒頭の「お前が言うな」に収斂されますが、つまりサッカーが上手なやつに、サッカーが上手いこととは関係のない特権まで集中していく。部活動や地域のクラブであれば、それはそのまま学級内のスクールカーストに直結するかもしれません。

なぜサッカーを辞めてしまうのか?

 さて、ここで大きな問題が発生します。

 こうした「見えない序列」の中でサッカーをしてきた人間は、サッカーを生涯にわたって続けるでしょうか? 序列のなかを最後まで駆け上がるのは、極めて少数の精鋭のみで、それ以外はどこかの時点で淘汰されていきます。スタメン争いに敗れる、試合に負ける、というのはスポーツの一部ですが、サッカーを楽しむ権利を(空気的に)剥奪される、と言うのはスポーツの一部として成立しません。

 やっと本題です。

 僕は、日本に一番足りていないのは、「めっちゃ楽しそうにサッカーをする、死ぬほどサッカーが下手なおっさん」だと思っています。

 週末に、仕事終わりに、競技レベルの高低とは全く関係のない次元で、おっさんがユラユラと集まって、しかし真剣に、サッカーをする。11対11である必要は全くなくて(どうせ最後は走れなくなって2対3くらいになるのだから)4対4でも、6対6でも構わない。

 僕は大学卒業まで日本でサッカーをしましたが、各年代のチームメイトで、週末だけでもサッカーを続けている人間は数えるほどしかいません。皆、短くない期間打ち込んできたにも関わらず、です。

 それはサッカーがプレーするに足らない、魅力のないスポーツだからではなく、熱中していた時にあった序列的な空気構造がサッカーを「つまらなく」感じさせてしまったからではないでしょうか。「サッカーと自分の蜜月関係」の間に、上手くいかない、嘲笑される、誰かにジャッジされる、という横槍がザクザクと入り込んで、サッカーを「誰かより劣っていた記憶」として、あるいは「自らを序列に当てはめた記憶」として刻んでしまう。好きで始めたサッカーが、ヒエラルキーの象徴に化けてしまう。

【次ページ】 欧州で見た「サッカーを生涯、愛する人々」

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