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「普通のJリーグのチームにはなりたくない」いわきFCのフィジカルだけでない “震災からの復興ホームタウン革命”

posted2021/12/16 11:03

 
「普通のJリーグのチームにはなりたくない」いわきFCのフィジカルだけでない “震災からの復興ホームタウン革命”<Number Web> photograph by Yasuo Kawabata

いわきFCと東日本大震災の被災地。ホームタウンとして徐々に浸透、拡大している

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川端康生

川端康生Yasuo Kawabata

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Yasuo Kawabata

日本サッカーでは珍しい“フィジカル重視”を打ち出した、いわきFCが2022シーズンのJ3昇格を決めた。クラブの6年間の歩み、そして東日本大震災から10年のホームタウンの物語を追った(全2回/前編も)

「自分の町の名前で応援できるのは最高ですよ」

 そう話す男性と出会ったのは、8対0で大勝した初陣のバックスタンドだった。それまでは隣県の鹿島アントラーズや、同じ福島県内でも中通りを本拠とするBCリーグの福島レッドホープスを応援していたという。

 だから「いわき」と叫べることが嬉しくてしょうがないのだと言っていた。

 そんな話を聞きながら、これからサポーターは増えるだろうと思ったが、一方で「これは一筋縄ではいかないかも」と感じていたこともあった。

 ホームタウンとの関係である。いわき市は「昭和の大合併」で14市町村が合併してできた広域都市だ。合併当時は日本で一番広い市だった。当然、それぞれの地域色が強く、その分一体感は持ちにくい。そんないわき市のシンボル的なチームになるのは容易ではない。

 加えて、地元サッカー協会の集まりに大倉智社長やスタッフが出席したとき、会場に漂っていた空気も気になった。それはまさに「アウェイ」。<いわきを東北一の町にする>という大言壮語とともに東京からやってきたよそ者に対する警戒感のようにも見えた。

 ところがそんな心配は杞憂だった。

支援を超え、いわきFCを中心とした新たな町作りの機運も

 クラブとホームタウンとの関係はすぐに良化。2年目には「スポーツによる人・まちづくり推進協議会」が設置され、行政をはじめ、商工会や各地域の団体が集結。いわきFCを「支援」するというより、いわきFCを中心に据えた「新たな町作り」の機運さえ高まってきた。

 背景にはいわきFCが地元にもたらした実績があったと思う。

 たとえば天皇杯でコンサドーレを破ったのと同じ頃竣工した商業施設複合型クラブハウス「いわきFCパーク」には、東京の有名店も出店していたからスポーツ以外の来訪者も多い。

 いわき湯本ICから車で5分。これまでなら右折してスパリゾートハワイアンズへ向かっていた観光客が、ついでにちょっと……と立ち寄れるような立地でもあり、開業から半年ほどで来場者は25万人を超え、地域に新たな賑わいを生むことにもなった。

 ちなみにこの頃、いわき市の観光客は814万人。若干回復したとはいえ、震災前(2010年)の1073万人と比較すればまだ25%も少なかった。

 まだできたばかりにもかかわらず、いわきFCがもたらすものはすでに確実にあったのだ。

 もちろん市民への浸透も早かった。

 2年目にはファンクラブ会員が1000人に達した。旗揚げ初戦で「いわき」と叫んでいた男性の思いは、当然、彼だけのものではなかったのだ。

 そしてサポーターが生まれた。

【次ページ】 田村監督が折に触れて「復興」を口にする理由

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