酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
《引退》斎藤佑樹は名指導者になるかもしれない 948球甲子園優勝→プロで挫折の記録に埋もれても…「早大OBのイベント」秘話
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byTakashi Shimizu/Nanae Suzuki/Toshiya Kondo
posted2021/10/01 20:00
甲子園優勝と早大での栄光と、プロでの挫折。斎藤佑樹の経験には、将来の野球人に生かせる価値がきっとある
8月6日 1回戦 鶴崎工13-1 126球
8月12日 2回戦 大阪桐蔭11-2 133球(完投)
8月16日 3回戦 福井商7-1 136球(完投)
8月18日 準々決 日大山形5-2 144球(完投)
8月19日 準決勝 鹿児島工5-0 113球(完封)
8月20日 決勝戦 駒大苫小牧1-1 178球(完投)
8月21日 再試合 駒大苫小牧4-3 118球(完投)
早実は西東京大会(6試合)でも塚田が先発して、斎藤が救援した試合が2つあるが、4試合で完投した。甲子園では1回戦で塚田が中継ぎで投げたものの、延長引き分け再試合も含めて投球数は948球に上った。
夏の甲子園での投球数としては、1990年以降の甲子園では最多。1998年の横浜・松坂大輔でも782球で、斎藤に次ぐのは2018年金足農・吉田輝星の881球だった。当時の中継を聞くと、アナウンサーも解説者も「斎藤佑樹のスタミナには恐れ入りました」と語っており、批判の声はあまりなかった。
なお高校野球・甲子園で球数制限が大きな問題になったのは、2013年春の甲子園で済美の安樂智大(現楽天)が772球を投げた時だった。この大会については、のちに「豪腕 使い捨てされる15億ドルの商品」というドキュメントで日米球界に波紋を投げかけたジャーナリスト、ジェフ・パッサンが来日し、安樂や済美の上甲正典監督(当時)にインタビューをしている。
そして2018年になって吉田輝星の881球が問題視されるに至ったのだ。
2006年夏の奮闘によって、斎藤佑樹は「ハンカチ王子」という異名がつけられ、大ブームとなった。しかし斎藤はライバルの田中将大に比べて体も小さく、球速も遅かったことから、将来性では田中とは別の評価となっていた。
東京六大学でも31勝323奪三振、防御率1.77
斎藤は早稲田大に進学し、東京六大学では4年間で61試合に登板し31勝15敗11完投4完封、371.1回を投げ323奪三振、防御率1.77という見事な成績を残した。
筆者はこの時代の斎藤を何度か見たが、余裕のある表情でマウンドに上がり、切れのある140km/h台の速球と、変化の大きなスライダーで打者を手玉に取っていた。鋭く変化するスライダーには、しばしば打者が「これは打てないや」という表情をしたものだ。
2010年ドラフト1位で日本ハムに入団。ここで「ハンカチブーム」が再燃した。
そして――以後の斎藤佑樹の一軍、二軍での成績である。