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《引退》斎藤佑樹は名指導者になるかもしれない 948球甲子園優勝→プロで挫折の記録に埋もれても…「早大OBのイベント」秘話
posted2021/10/01 20:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Takashi Shimizu/Nanae Suzuki/Toshiya Kondo
斎藤佑樹は、今季も二軍で投げていたが、球速が130km/hに届いていないという記事も上がっていた。果たしてここからどんな可能性が拓けるというのか、と思っていたが引退発表のニュースとなった。
思えば日本中が沸いた2006年夏の甲子園からもう15年も経ってしまった。斎藤佑樹をはじめとする「ハンカチ世代」は、もう33歳、プロ野球ではベテランの域に達している。
プロ入り11年、その後の低迷を考えれば、むしろこの年代までプロで投げることができたのは、大したものだという見方もできよう。そんな彼のアマ球界からプロでの足跡について、記録とともに振り返っていく。
春のセンバツでも再試合→15回完投していた
斎藤佑樹は、群馬県太田市出身。中学時代は軟式野球で活躍し、推薦入試で2004年、早稲田実業に入学する。
早実は、第1回の夏の甲子園に出場しているという古豪中の古豪ではあったが、1996年夏の甲子園出場を最後に地方大会で敗退していた。
2004年夏も4回戦で工学院大に敗退。斎藤が2年生になった2005年夏も準決勝で日大三に敗戦する。しかしこの年の秋季都大会で優勝し、第36回神宮野球大会に出場。準々決勝で岐阜城北を11-3で破り準決勝に進出したものの、駒大苫小牧に3-5で惜敗している。駒大苫小牧の2番手投手は田中将大、これが宿命のライバルとの公式戦での初対戦だった。
2006年春の甲子園にも出場し、3月25日の1回戦で北海道栄を7-0で下す。2回戦では関西と当たるが延長15回7-7で引き分け再試合となる。関西は6回からのちに日本ハムで斎藤のチームメイトになるダース・ローマシュ匡が投げたが、斎藤は15回を完投した。
3月30日の再試合では2年生の塚田晃平(のち広島)が先発したが、3回から斎藤がマウンドに上がり、4-3で勝利。しかし翌31日の準々決勝の横浜戦では先発したものの初回から失点し、3-13で敗退した。
今、思えば「延長15回を投げ抜き、再試合で勝つ」という斎藤佑樹の恐るべきドラマは、この春に予告編があったのだ。
当時「948球」に批判の声はあまりなかった
そして夏の甲子園、勝敗と斎藤の球数である。