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「松坂大輔、引退」名古屋の夜に明かしていた苦悩とは? 球数も怪我も言い訳にしない平成の怪物は、投げることに勇敢だった 

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田中大貴

田中大貴Daiki Tanaka

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/07/07 17:01

「松坂大輔、引退」名古屋の夜に明かしていた苦悩とは? 球数も怪我も言い訳にしない平成の怪物は、投げることに勇敢だった<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2016年、ソフトバンク時代の宮崎キャンプで和田毅と談笑する松坂大輔。同世代に与えた影響は計り知れない

 横浜高校時代、PL学園戦で延長17回250球を投げ抜いた松坂大輔を、西武ライオンズ時代、イチローから3三振を奪った松坂大輔を、MLBのワールドシリーズを制して世界一になった松坂大輔を、ファンは鮮明に覚えている。

 しかし、印象に残るどの試合も現在では考えられない球数を投げてきた。イチローから三振を奪い、「自信が確信に変わった」という言葉を残したあの試合も140球以上を投げている。アマチュア時代から強く、鋭く、鋼のような身体を持っていたことで、再現性の高い、重く速い圧倒的なボールを多く投げることが出来た。壊れない身体を持っていたからこそ、想像を絶する球数を投じた野球人生になった。

 それでも、現役最後の数年間はどう生き延びるかを冷静に考え、決して投球数や怪我を晩年の言い訳にすることはなかった。

“松坂世代”和田毅へのアドバイス

 そして、同じように怪我を抱える投手らの相談にも乗ってきた。気づけばたった一人になった「松坂世代」の和田毅(ソフトバンク)が肩を痛め投げられなかった時は、治療や身体のケアに関するアドバイスを送った。その結果、和田は再びマウンドに戻ることができた。今後も、その松坂の意志を受け継いでマウンドに上がってくれるに違いない。

 和田だけではない。同世代の多くがプロの道へ進み、「松坂世代」という言葉が生まれたのも、松坂がマウンドで見せてきた闘志や裏で見せる心優しい人間性に触れ、刺激を受けてきたからだろう。同じ80年生まれの筆者も、大学まで続けた野球を離れてアナウンサーという仕事を志すことができたのは、球場で松坂を取材し、実況したいという目標が見つかったからだ。松坂は私たちにとって夢を、希望を与えてくれる存在だった。

 想像を絶するほどの球数を投げてきた松坂大輔の野球人生。最後は身体に痺れが来るほど腕を振り続けた。

 まだ、マウンドに立つ姿を観たい。でも、もうこれ以上「投げて欲しい」とは言えない。日常を非日常に変えた名シーンを幾度となく作ってくれた大投手の決断を尊重し、最大級の賛辞を送りたいと思う。

 投げることに勇敢で、最後まで速いボールにこだわった松坂大輔は僕らの心の中に常に宿り続ける。残りの短い時間で“平成の怪物”の姿をしっかりと目に焼き付けたい。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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