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渋野&笹生のメジャー制覇、熾烈な賞金女王争い…若手台頭の女子ゴルフ界に「宮里藍」が与えた影響とは?
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byF.Froger/D5/AFLO
posted2021/06/19 11:01
現役ラストマッチとなった2017年エビアン選手権で笑顔を見せる宮里藍。世界を舞台に戦う姿を見た子どもたちが今、国内外で活躍している
宮里はジュニアゴルファーの憧れの存在だった。2003年のミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンで、当時高校3年生の宮里がアマチュア優勝を果たし、すぐにプロ宣言。これを機に、女子ゴルフ人気は新たな時代を迎えた。
プロ1年目の2004年シーズンには5勝をマーク。それまで女子ゴルフ中継の視聴率は散々なものだったというが、宮里の登場で二桁台となり、さらに20歳で優勝した2005年の日本女子オープンでは最終日に2万人を超えるギャラリーが駆けつけるなど、4日間の合計4万8677人を動員。この数字は今も破られていない最多記録である。
“藍ちゃんブーム”が起こり、女子ゴルフ人気に火がついた頃、現在の女子ツアーで活躍している黄金世代、プラチナ世代、新世紀世代の選手たちは当時4~7歳。ちょうどゴルフを始める時期とすれば、ゴルフ好きの両親が宮里の活躍に触発された可能性は高い。
「目標は宮里藍さん」
宮里はさらなる成長を求めて、2006年から主戦場を米国女子ツアーへ移した。メジャー優勝こそ達成できなかったが、そこからツアー通算9勝。世界ランキング1位にも上り詰め、日本女子ゴルファーの開拓者となる。
これまで筆者が取材してきた若手女子ゴルファーは、そのほとんどが宮里に憧れ、影響を受けたと語る選手ばかりだった。
沖縄出身の新垣は「小さい頃から同郷の藍さんをテレビで見て憧れていました。藍さんのような存在になれたらうれしい」と語れば、アマチュア時代の古江は「目標は宮里藍さん。将来的には藍さんのようにジュニアゴルファーから憧れてもらえるような選手になりたい」と目を輝かせていた。
高校1年のときの2014年KKT杯バンテリンレディスでアマチュア優勝した勝も当時、宮里への憧れを語っていたし、畑岡奈紗もまた、宮里のようになりたいという強い気持ちで今も米ツアーで戦っている。