濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
武藤敬司の“ノア入団”は何を意味するのか 会場がどよめく武道館の潮崎戦にみた「老いぼれ」の底力
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byMasashi Hara
posted2021/02/20 17:03
潮崎豪に勝利した武藤敬司。ノア入団により、プロレス界はどう動いていくのだろうか
人工関節の入った「老いぼれ」が勝てるのか…
同じように、大ベテランがベルトを巻くのもノアらしさ。とはいえ58歳の「老いぼれ」が全盛期のチャンピオンに勝てるものなのか。そこに説得力はあるのか。試合を見た人間としては「ある」としか言いようがない。
武藤は長年、ヒザの故障を抱えていることで知られる。数年前には人工関節を入れる手術を行なった。「そんな選手が」と思われるかもしれない。しかし武藤によると、手術したことで「暗黒時代」は脱したそうだ。もちろん完全ではないがヒザの状態がよくなったから内容の濃い練習ができる。それだけコンディションがよくなる。トレーニングのテーマは「昨日の武藤敬司に勝つ」ことだ。加えて世界のトップ戦線で闘ってきた圧倒的な経験値は衰えない。
事実として、武藤は潮崎と29分32秒にわたって闘い続け、その上で勝った。大会1週間前の会見で「90分やれる体力をつけてきた」と語っていたが、それはリップサービスでも潮崎への精神的な揺さぶりでもなく、偽らざる自信だったのかもしれない。
俺が弱かったら“永遠の恋人”三沢社長も弱いことに
現在、プロレス会場のほとんどは“声援NG”だ。しかしこの試合では武道館が立て続けにどよめいた。
チョップの連打、ラリアット、コーナー上からの危険な投げにムーンサルトプレス。武藤は潮崎の技を受けて受けて受け切り、すべてカウント2で返した。観客は拍手とともに足でフロアを踏み鳴らして興奮を表す。いわゆる“重低音ストンピング”だ。
武藤も、ヒザの手術とともに封印されたはずのムーンサルトを放とうとした。コーナーに登りかけ、途中で足が止まる。どうしても勝ちたい、しかしこれを出したらレスラーとして終わるかもしれない。決意と逡巡を数秒間に込める。ファンも関係者もマスコミも目が釘付けだ。あの場面を見たら、誰だって「武藤頑張れ!」と思ってしまう。技を出さないことで心を掴んだ武藤は、まさに“プロレスリング・マスター”だった。
そしてフィニッシュは一瞬の切り返し。猛攻に耐えた末のカウンターだった。かつて何度も名勝負を制したフランケンシュタイナー。「まだこれがあった」という納得度もあり「今もこれが出せるのか」という驚きもあり、そして何よりレフェリーが3カウントを入れた時の衝撃は凄まじかった。
この日の武藤の頑張りは人智を超えたレベルにあった。人智を超えた力など本当にあるのか。ここでもまた「ある」と言わざるを得ない。
試合がクライマックスに向かう中で、武藤はエメラルドフロウジョンで潮崎を投げている。言うまでもなく、これは三沢の必殺技だ。武藤と三沢は同い年。新日本と全日本ではリングで交わることがなかったが、誰もが対戦を熱望する同時代のライバルだった。その三沢の技を、三沢が作ったノアのタイトルマッチで武藤は出した。
「あんなのぶっつけ本番で出しちゃダメだな。でも、もしかしたら三沢光晴は潮崎豪じゃなくて俺のこと応援してたんじゃないかな。俺が弱かったら“永遠の恋人”と呼ばれた三沢社長も弱いってことになるから」
天国の三沢光晴に応援されたら、それは勝つだろう。どんな強烈な技を食らっても立てるだろう。ノア11年ぶりの武道館大会は、そう信じられる空間でもあった。
かつて、引退してもなお強烈なカリスマ性を誇るアントニオ猪木ら先達について、武藤はこう語っている。
「思い出とケンカしたって勝てねえよ」
しかし今、その武藤が思い出を武器にして勝ったのだった。