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斎藤佑樹、清宮幸太郎……進学とプロ入り、「甲子園ヒーロー」たちはどちらを選択すべきか
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKYODO
posted2020/09/22 11:30
06年夏、決勝再試合まで948球を投げて優勝投手になった‘‘ハンカチ王子‘‘。「自分はまだ未熟」と語って進学を選んだ
池邉啓二 「キャンパスでランチを食べるとか……」
’00年夏に智弁和歌山の主砲として全国制覇に貢献した池邉啓二だ。池邉は高校卒業後、慶応大、新日石ENEOS(現JX-ENEOS)でプレーを続け、2014年を最後に引退した。
高校時代、池邉はプロ志望を表明すれば指名が確実視されていたが(当時はプロ志望届提出は義務付けられていなかった)、進学の道を選ぶ。当時の心境をこう語る。
「どうしても大学に行きたかったんですよね。高校時代があまりにも厳し過ぎたので、遊びたいというのもあった。キャンパスでランチを食べるとか、大学への憧れもあって。実際、一般学生との交流もほとんどなくて、思い描いていたほどのものではなかったんですけど……」
池邉は慶大で伸び悩んだ。
「天狗になっていたんでしょうね。大学は本当に練習が短いんですよ。こんなんでいいの? って。最初の方、ちょっと結果が出たもんだから、やんなくて結果が出るならいいか、と。人間って楽な方、楽な方にいっちゃうもんじゃないですか」
池邉の話を聞いていて思うのは、やはり力があるのなら、少しでも早くレベルの高い環境に身を置いた方がいいということだ。今の自分よりもレベルの低い環境に入ってしまうと、そのレベルに引っ張られてしまうということもある。それも実力のうちと言ってしまえばそれまでだが、水が合う合わないもあるし、やはり環境は大事だ。
大学時代、池邉が何度となく口にしていたのは「高校のときにプロに行っていたら……」という後悔だった。
結局、池邉は慶大で高校時代のようなインパクトを残すことができず、大学4年時にプロ志望届を出したものの指名する球団は現れなかった。
行けるときに行きたい――。スカウトから注目されている高校生がよく吐くセリフである。それに対し、多くの大人はこう言って諫める。大学に行ってからでも遅くない、大学でつぶれるようならそこまでの選手だ、と。
だが、こうしたやりとりは、かみ合っているようで、どこかかみ合っていない。
高校生は失敗してもいいからプロ野球選手になりたいと言っているのに対し、大人は失敗したときに後悔するからもっと慎重になりなさいと諭している。